三井高平(読み)みついたかひら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三井高平」の意味・わかりやすい解説

三井高平
みついたかひら
(1653―1737)

江戸中期商人高利(たかとし)の長男惣領(そうりょう)家第2代。伊勢(いせ)松坂(三重県松阪市)生まれ。幼名長四郎、通称八郎右衛門のち八郎兵衛、剃髪(ていはつ)して宗竺(そうちく)。兄弟の中心となって父の創業を助け、とくに京都での呉服仕入れを主管。父の没後親分として一家の統轄にあたり、とくに家政・経営両面にわたる組織・制度を整備して、元禄(げんろく)(1688~1704)の経済発展から享保(きょうほう)(1716~36)の低成長への時代の転換によく即応し、三井家永続の基礎を固めた。とくに家政と経営を一元的に統御する「大元方(おおもとかた)」の創立(1710)、同族の共有財産制とその内実を定めた家法「宗竺遺書」(1722)は永く一家に守られ続けた。ほかに、両親を中心にした家譜『家伝記』があり、三井高房の『町人考見録』も高平の原作になる。元文(げんぶん)2年閏(うるう)11月27日85歳で没。法名鶴操院林山宗竺居士。墓所は洛東(らくとう)真如堂(しんにょどう)。

三井礼子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三井高平」の意味・わかりやすい解説

三井高平
みついたかひら

[生]承応2(1653).4.27. 松坂
[没]元文2(1737).閏11.27.
江戸時代中期の豪商。富豪三井家の始祖高利の長男。幼名,長四郎。三井総領家2代八郎右衛門。法名,宗竺。父を助けて越後屋呉服店を創業 (→越後屋 ) ,京都に本拠をおいて仕入れにあたったが,のち江戸幕府の呉服御用達となった。父の死後は兄弟を指導し,大元方という事業統轄機関を設け,また元禄 14 (1701) 年長男高房に家督を譲って隠居してのち,家憲『宗竺遺書』 (1722) を定めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三井高平」の解説

三井高平 みつい-たかひら

1653-1738* 江戸時代前期-中期の豪商。
承応(じょうおう)2年4月27日生まれ。三井高利の長男。三井総領家2代。父の呉服店創業をたすけ,京都で仕入れにあたる。宝永7年事業の統合機関として大元方(おおもとかた)を創設,享保(きょうほう)7年家憲「宗竺(そうちく)遺書」を制定。同族をまとめ,三井家の基盤をかためた。元文2年閏(うるう)11月27日死去。85歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。通称は八郎右衛門(初代)。法名は宗竺。

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367日誕生日大事典 「三井高平」の解説

三井高平 (みついたかひら)

生年月日:1653年4月27日
江戸時代前期;中期の豪商
1738年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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