朝日日本歴史人物事典 「井上正継」の解説
井上正継
生年:生年不詳
江戸前期の砲術家。井上流(外記流ともいう)の流祖。九十郎,外記と称した。播磨国英賀(姫路市飾磨区)の出身で,慶長19(1614)年徳川秀忠に仕えて大坂城の砲撃に参加した。銃器の改良工夫を特技とし,16連発,20連発などの機関銃や連城銃と呼ばれる軽便な砲架を考案している。しかし狷介な性格が災いしてか,同輩の稲富直賢との砲術の技量をめぐる口論がきっかけとなり正保3(1646)年9月13日,刃傷におよんで落命した。そのため井上家は一時断絶したが,寛文3(1663)年養嗣子左太夫正景のとき再び召し出され,子孫は幕末に至るまで江戸幕府鉄砲方を世襲した。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報