日本歴史地名大系 「井堀村」の解説 井堀村いぼりむら 愛知県:稲沢市井堀村[現在地名]稲沢市井堀町・井堀〈犬城(いぬしろ)町・江西(えにし)町・大縄(おおなわ)町・蒲六(がまろく)町・川東(かわひがし)町・北出(きたで)町・下郷(しもごう)町・宿塚(しゆくづか)町・高見(たかみ)町・中郷(なかごう)町・野口(のぐち)町・橋下(はししも)町〉村の東に宮田用水大塚(おおつか)井と三宅(みやけ)川が流れ、北は儀長(ぎちよう)村・矢合(やわせ)村に接する。本郷は三宅川の西岸にあり、市場(いちば)・中瀬戸(なかせと)・北瀬戸(きたせと)・筋野(すじの)に分れている(天保村絵図、徇行記)。天正末頃は織田信雄の家臣橋本伊賀の知行地で(織田信雄分限帳)、伊賀の居城は後に百姓屋敷となった(寛文覚書)。 井堀村いぼりむら 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉北区井堀村[現在地名]小倉北区井堀一―五丁目・都(みやこ)一―二丁目・白萩町(しらはぎまち)到津(いとうづ)村の北から西にかけて位置し、北は中原(なかばる)村に接する。西は境(さかい)川を挟んで筑前国戸畑(とばた)村(現戸畑区)で、国境争いが繰返された。正保国絵図に井堀とみえる。郷村高帳では高一三〇石余、うち新田高五一石余。幕末の各村覚書では本高七九石余、田五町四反余・畠八町四反余、物成二七石余、竈数一三・人数六二、牛一三、心好(こころよし)明神社などがある。 井堀村いぼりむら 大分県:直入郡荻町井堀村[現在地名]荻町柏原(かしわばる)正保郷帳では柏原郷に属し、田方二石・畑方四九石余。万治元年(一六五八)には田高三石余・畑高なし・屋敷高なしとある(荻町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by