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井戸村与六 いどむら よろく

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井戸村与六 いどむら-よろく

?-? 織豊時代の人。
近江(おうみ)箕浦(みのうら)荘(滋賀県近江町)の土豪。天正(てんしょう)19年(1591)の「井戸村与六作職(さくしき)書付」によれば,27人の請作(うけさく)(小作)農民に作職(耕作権ないし下級土地所有権)をあたえて地主的経営をしていたことが知られる。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井戸村与六
いどむらよろく

戦国時代末から近世初頭の近江(おうみ)国坂田郡(滋賀県米原(まいばら)市)箕浦(みのうら)の土豪。父は井戸村左京亮光慶といって北近江の戦国大名浅井長政の家臣であった。浅井氏滅亡後、兄小二郎秀勝はなおも武士化の道を模索するが、弟与六は箕浦に居住し地主的経営に乗り出していった。1591年(天正19)与六は太閤検地(たいこうけんち)を前に「作職書付(さくしきかきつけ)」を作成、太閤検地によって否定されそうになった「作合(さくあい)」とよばれる中間搾取の特権を維持しようとしている。このことが太閤検地の政策基調を論ずる際の焦点となり、井戸村与六の名が広く知られるようになった。与六の土地を請作(うけさく)し、作職を扶持(ふち)された農民は27名を数える。[小和田哲男]

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