朝日日本歴史人物事典 「井関玄説」の解説
井関玄説
生年:元和4(1618)
江戸前期の幕府医官。名は常甫,号は養真庵。近江(滋賀県)の人。父は甫重,妻は林市之進(京都の名医)の娘。江戸で曲直瀬玄朔に医を学ぶ。博覧多識をもって知られ,井上玄徹と並び称された。寛文6(1666)年召されて将軍徳川家綱に謁見。延宝1(1673)年法眼に叙せられた。細川興隆や徳川頼宣などの諸大名の治療に腕をふるったと伝えられるが,今日その著述は伝存していない。以後子孫(祐甫―政甫―職甫―俊甫―照甫―修甫)は代々玄説を襲称し,幕府医官を勤めた。
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報