井関隆子(読み)いせき・たかこ

朝日日本歴史人物事典 「井関隆子」の解説

井関隆子

没年:弘化1.11.1(1844.12.10)
生年:天明5.6.21(1785.7.26)
江戸後期の旗本庄田安僚の娘。名はキチ。江戸生まれ。30歳ごろ,旗本井関弥右衛門の後妻となる。特定の師につかず,蔵書を熟読して独学古典への理解を深めた。天保11(1840)年から他界する20日前の弘化1(1844)年の約5年間の日記には,江戸城内の動きや世間の事件,家族の動向,自身の文化活動を記述している。そのなかには公の記録より真実を伝えるものも多い。仏者や儒者には好感を持たず,国学思想や平安朝文学などに影響を受け,『神代のいましめ』,『さくら雄物かたり』(1838)などの擬古物語も著している。<参考文献>深沢秋男校注『井関隆子日記』全3巻

(柴桂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井関隆子」の解説

井関隆子 いぜき-たかこ

1785-1844 江戸時代後期の歌人
天明5年6月21日生まれ。30歳ごろ西丸納戸組頭井関親興の後妻となったが,42歳のとき死別和歌,国学をおさめ,大奥につとめた。天保(てんぽう)11年から15年までの「井関隆子日記」には800首余の和歌がしるされ,当時の世相をつたえる貴重な史料とされる。天保15年11月1日死去。60歳。江戸出身。本姓は庄田。歌集に「井関隆子長短歌」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「井関隆子」の解説

井関隆子 (いせきたかこ)

生年月日:1785年6月21日
江戸時代後期の旗本庄田安僚の娘;日記作者
1844年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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