亘理要害跡(読み)わたりようがいあと

日本歴史地名大系 「亘理要害跡」の解説

亘理要害跡
わたりようがいあと

[現在地名]亘理町 旧舘

阿武隈丘陵から東へ延びる丘陵東端に立地。標高約一五メートル。地形の形容から臥牛ふせうし館ともいう。西方丘陵の根元に小堤こづつみ城跡のある大雄だいおう寺、東に南北に江戸浜街道が通り、道沿いに亘理の町並が展開する。城郭の基礎は武石亘理氏の代に築かれたと思われる。ただし「性山公治家記録」元亀元年(一五七〇)四月五日条にみえる亘理元宗・同重宗の居城「亘理城」が当城であるとの確証はない。また同記録に千葉常胤三男武石右衛門尉胤盛が亘理郡を領有し、亘理城に居住した故をもって亘理氏を称したとする亘理城についても、当城であるとの確認はない。天正一九年(一五九一)亘理氏は涌谷わくや(現遠田郡涌谷町)へ移り、かわって片倉景綱が入った。片倉氏は慶長七年(一六〇二)白石しろいし移封まで当地を本拠として、各地を転戦した(以上「片倉代々記」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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