亘理町(読み)わたりまち

日本歴史地名大系 「亘理町」の解説

亘理町
わたりまち

[現在地名]白石市城北町・大川町、字亘理町

なが町の北に続く六町の一。片倉家の祈願所亘理山千手せんじゆ院があったので町名となったのであろうか。東の延命えんめい寺へ通じる猿曳横丁さるひきよこちようは、横丁脇にあった白石本郷鎮守の深山しんざん社の末社日吉神社の縁由によったものか。西は短ヶ町みじかまちに続く。寛文一〇年(一六七〇)の書上(「白石市史」所収)では町の長さ一〇五間、奥州街道南側に一九軒、北側に二四軒、検断屋敷一軒。


亘理町
わたりちよう

面積:七二・四〇平方キロ

南は山元やまもと町、北は阿武隈川を境に岩沼市、東は太平洋、西は阿武隈丘陵の先端で角田かくだ市と接する。常磐線・国道六号が南北に走り、耕地面積の七三パーセントが水田、世帯数の三九パーセントが農家で、水田単作地帯。近年は小規模ながら工場を誘致したり、仙台のベッドタウンとしての宅地造成など、新たな開発の手が加えられつつある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「亘理町」の意味・わかりやすい解説

亘理〔町〕
わたり

宮城県南東部,阿武隈川河口部右岸にある町。西は角田市,北は岩沼市に接し,東は仙台湾に面する。1889年町制。1955年荒浜町および吉田村,逢隈村の 2村と合体。中心地区の亘理は仙台藩伊達成実の城下町で,陸前浜街道宿場町を兼ねていた。明治初年,武士は全員北海道に渡り,伊達紋別(伊達市)を開拓した。酒造油脂,木材,機械などの工場が立地。阿武隈川河口の荒浜は江戸への米の積出港であった。河口の南にある鳥の海はかつての製塩地で,荒浜新漁港が建設された。米作が行なわれるほか,砂丘地でイチゴ,キュウリ,トマトなどの栽培が盛ん。JR常磐線亘理駅の近く,国道6号線沿いにある称名寺の樹齢 700年のシイノキは天然記念物。2011年,東北地方太平洋沖地震に伴う津波により大きな被害を受けた。面積 73.60km2。人口 3万3087(2020)。

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