新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「京極朗徹」の解説 京極 朗徹キョウゴク アキユキ 肩書丸亀藩知事 別名通称=栄三郎 源三郎 雅号=宝嶺 生年月日文政11年9月17日(1828年) 出生地讃岐国丸亀(香川県) 経歴嘉永3年丸亀藩主を継ぐ。藩財政逼迫により、節約令、藩士の減給、のち封札令を出す。明治2年版籍奉還により丸亀藩知事となり、4年廃藩により知事を免ぜられ東京に移った。藩主在任中には禁裏造営の功により、孝明天皇より十体和歌の巻物を賜わった。 没年月日明治15年5月11日 家族養父=京極 高朗(丸亀藩主) 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「京極朗徹」の解説 京極朗徹 きょうごく-あきゆき 1828-1882 幕末の大名。文政11年9月17日生まれ。京極高周の5男。京極高朗(たかあきら)の養嗣子となり,嘉永(かえい)3年讃岐(さぬき)(香川県)丸亀藩主京極家7代。節倹令,封札令を施行。慶応4年朝廷の命をうけて高知・多度津(たどつ)両藩とともに高松藩征討の軍に参加した。明治15年5月11日死去。55歳。幼名は岩根。通称は栄三郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by