備讃瀬戸の西寄り、
康応元年(一三八九)三月の将軍足利義満の安芸厳島詣に随行した今川了俊は「鹿苑院殿厳島詣記」二二日条に、
と記している。強風でも風波の影響を受けることの少ない良港であったことが推察され、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
香川県北西部、仲多度(なかたど)郡の町。備讃(びさん)瀬戸に臨む。1890年(明治23)町制施行。1942年(昭和17)豊原(とよはら)村を編入、1954年(昭和29)四箇(しか)、白方(しらかた)の2村と合併。1956年佐柳島(さなぎしま)、高見島の2村を編入。江戸時代は1694年(元禄7)に丸亀(まるがめ)藩から分知して成立した多度津藩1万石の小城下であり、また金毘羅詣(こんぴらもう)でや善通寺参詣の港津(こうしん)として栄えた。1889年に県下で最初に敷設された鉄道もこの地を中心とした。宇高(うこう)連絡船の就航(1910~1988)や瀬戸大橋の架橋(1988)などにより交通の中心地は高松に譲ったが、現在もJR予讃(よさん)線と土讃(どさん)線の分岐点である。臨海部には造船所やJR四国の車両整備工場がある。西部山間部の白方は県西部のブドウ栽培の発祥地であり、西日本有数の種なしブドウの産地である。平野部には大小の溜池が点在し、米、麦などがつくられている。水産業では、ヒラメやタイ、カキなどの養殖が盛ん。四国八十八か所第77番札所の道隆(どうりゅう)寺、名刹(めいさつ)海岸寺、藩主別邸庭園のある県立桃陵(とうりょう)公園などがあり、独特の習俗を伝える佐柳島、高見島は瀬戸内海国立公園域。面積24.39平方キロメートル、人口2万2445(2020)。
[稲田道彦]
『『多度津町史』(1963・多度津町)』▽『『多度津町誌』(1990・多度津町)』
香川県西部,仲多度郡の町。人口2万3498(2010)。神功皇后が〈三韓征伐〉のとき寄港したところといわれ,江戸時代は金刀比羅(ことひら)参詣客の上陸港として東隣の丸亀港とともに栄えた。1889年に丸亀~多度津~琴平間に県下最初の鉄道が開通し,その後予讃線,土讃線の分岐点として鉄道交通の要衝となり,国鉄(現JR)多度津工場,四国電力火力発電所などができた。1974年に町単独による海岸埋立工事が完成し,臨海工業地区が形成された。町の西部にある桃陵公園は多度津藩主の下屋敷を開放したもので,現在は県立公園となり,桜の名所として知られる。公園の南麓には少林寺拳法日本総本山がある。
執筆者:坂口 良昭
讃岐国多度郡の港として古くから内海航路の要衝をなし,室町時代には西讃岐の守護代であった香川氏が居館を置いた。1664年(寛文4)の村高は745石余。94年(元禄7)に丸亀藩京極氏の支藩として多度津藩1万石が成立した。しかし藩庁は置かれず,重臣が派遣されていた。のち1827年(文政10)に陣屋が設置され,家臣の屋敷も建てられた。元禄ごろから金刀比羅信仰が盛んになるにつれて参詣者の上陸地として栄え,また廻船業も盛んであった。48年(嘉永1)の戸数は859軒と増え,人口は3101人であった。
執筆者:木原 溥幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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