デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「京極高朗」の解説 京極高朗 きょうごく-たかあきら 1798-1874 江戸時代後期の大名。寛政10年4月24日生まれ。京極高中の4男。文化8年讃岐(さぬき)(香川県)丸亀藩主京極家6代となる。天保(てんぽう)4年丸亀港に船泊所の新堀湛甫(たんぽ)をきずく。藩校敬止堂を領民に開放。藩史「西讃府志」を作成させた。明治7年2月14日死去。77歳。幼名は友三郎。号は琴峰。著作に「琴峰詩集」「巡封詩草」。 京極高朗 きょうごく-たかあき 1824-1864 江戸時代後期の武士。文政7年生まれ。幕臣。文久元年幕府の遣欧使節竹内保徳(たけのうち-やすのり)に随行しヨーロッパ各国を歴訪。ロシアとの樺太(からふと)(サハリン)国境画定交渉にかかわる。帰国後神奈川奉行,長崎奉行,騎兵奉行をつとめ元治(げんじ)元年大目付となった。同年10月29日死去。41歳。通称は啓之助。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「京極高朗」の解説 京極高朗 (きょうごくたかあきら) 生年月日:1798年4月24日江戸時代末期;明治時代の大名1874年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by