朝日日本歴史人物事典 「京極為教」の解説
京極為教
生年:安貞1.閏3.20(1227.5.7)
鎌倉時代の歌人。藤原為家の3男。母は宇都宮頼綱の娘。二条為氏は同母兄,冷泉為相は異母弟。為兼の父。近衛少将,蔵人頭,右兵衛督を経て非参議従二位に至る。法名,明正または明心。若年より西園寺実氏の庇護を受け,後嵯峨院の近臣でもあった。寛元1(1243)年河合社歌合以来,多くの歌会,歌合に出詠。『弘安百首』『嘉元百首』作者。兄為氏と不仲であったと伝えられ(『井蛙抄』),次代の二条,京極両家対立の一因を為した。為氏の『続拾遺集』選進に際して子の為子,為兼の入集増を懇願したが聴きいれられなかったという(「岩崎家所蔵手鑑」)。
(田仲洋己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報