京極為教
没年:弘安2.5.24(1279.7.4)
生年:安貞1.閏3.20(1227.5.7)
鎌倉時代の歌人。藤原為家の3男。母は宇都宮頼綱の娘。二条為氏は同母兄,冷泉為相は異母弟。為兼の父。近衛少将,蔵人頭,右兵衛督を経て非参議従二位に至る。法名,明正または明心。若年より西園寺実氏の庇護を受け,後嵯峨院の近臣でもあった。寛元1(1243)年河合社歌合以来,多くの歌会,歌合に出詠。『弘安百首』『嘉元百首』作者。兄為氏と不仲であったと伝えられ(『井蛙抄』),次代の二条,京極両家対立の一因を為した。為氏の『続拾遺集』選進に際して子の為子,為兼の入集増を懇願したが聴きいれられなかったという(「岩崎家所蔵手鑑」)。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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京極為教 きょうごく-ためのり
1227-1279 鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。
嘉禄(かろく)3年閏(うるう)3月20日生まれ。藤原為家(ためいえ)の子。歌道の藤原北家の御子左(みこひだり)家に生まれる。父の死後兄為氏(ためうじ)の二条家,弟為相(ためすけ)の冷泉(れいぜい)家に対し,京極家をおこす。従二位,非参議。作品は「河合社(かわいのやしろ)歌合(うたあわせ)」「続後撰和歌集」などにみられる。弘安(こうあん)2年5月24日死去。53歳。号は毘沙門堂。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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京極為教 (きょうごくためのり)
生年月日:1227年3月20日
鎌倉時代前期の歌人;公卿
1279年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の京極為教の言及
【京極家】より
…中世初期の歌道家。藤原氏[御子左家](みこひだりけ)の一流。為家の子の為教(ためのり)が定家の一条京極亭を伝領し,京極を号したことによる。毘沙門堂家ともいう。為教とその子[京極為兼](ためかね)は二条家に対抗して持明院統・西園寺家に親近して立場を確立し,伏見天皇の側近を中心に京極派を形成して歌道の覇権を握る。京極派は中世の勅撰和歌集のうち《[玉葉和歌集]》(為兼撰),《[風雅和歌集]》(花園院監)を撰して,その存在を誇示するが,為兼に実子がなく,その没後まもなく断絶する。…
※「京極為教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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