京極為教(読み)きょうごく ためのり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「京極為教」の解説

京極為教 きょうごく-ためのり

1227-1279 鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人
嘉禄(かろく)3年閏(うるう)3月20日生まれ。藤原為家(ためいえ)の子。歌道の藤原北家の御子左(みこひだり)家に生まれる。父の死後兄為氏(ためうじ)の二条家,弟為相(ためすけ)の冷泉(れいぜい)家に対し,京極家をおこす。従二位,非参議。作品は「河合社(かわいのやしろ)歌合(うたあわせ)」「続後撰和歌集」などにみられる。弘安(こうあん)2年5月24日死去。53歳。号は毘沙門堂

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367日誕生日大事典 「京極為教」の解説

京極為教 (きょうごくためのり)

生年月日:1227年3月20日
鎌倉時代前期の歌人;公卿
1279年没

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世界大百科事典(旧版)内の京極為教の言及

【京極家】より

…中世初期の歌道家。藤原氏御子左家(みこひだりけ)の一流。為家の子の為教(ためのり)が定家の一条京極亭を伝領し,京極を号したことによる。毘沙門堂家ともいう。為教とその子京極為兼(ためかね)は二条家に対抗して持明院統・西園寺家に親近して立場を確立し,伏見天皇の側近を中心に京極派を形成して歌道の覇権を握る。京極派は中世の勅撰和歌集のうち《玉葉和歌集》(為兼撰),《風雅和歌集》(花園院監)を撰して,その存在を誇示するが,為兼に実子がなく,その没後まもなく断絶する。…

※「京極為教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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