藤原為教(読み)フジワラノタメノリ

デジタル大辞泉 「藤原為教」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐ためのり〔ふぢはら‐〕【藤原為教】

[1227~1279]鎌倉中期の歌人為家次男為兼の父。京極派の祖。歌は「続拾遺集」などにみえる。

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精選版 日本国語大辞典 「藤原為教」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐ためのり【藤原為教】

  1. 鎌倉中期の歌人。京極家の祖。為家の子。為兼の父。「河合社歌合」「亀山殿五首歌合」などに参加し、「弘安百首」「嘉元百首」などを奉っている。兄為氏とは不和を伝えられる。安貞元~弘安二年(一二二七‐七九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原為教」の意味・わかりやすい解説

藤原為教
ふじわらのためのり
(1227―1279)

鎌倉中期の歌人。為家の三男、母は宇都宮頼綱(よりつな)の女(むすめ)。京極(きょうごく)、また毘沙門堂(びしゃもんどう)と称する。右兵衛督(うひょうえのかみ)、従(じゅ)二位。『続後撰(しょくごせん)集』以下の勅撰歌人。兄為氏と不和で、その撰になる『続拾遺(しょくしゅうい)集』に子女、為兼・為子の入集(にっしゅう)数が少ないのを不満として亀山(かめやま)院に申状を奉ったが却下され、兄を恨んで「限りある命を人にいそがれて見ぬ世の後をかねて知りぬる」と詠じ、弘安(こうあん)2年5月24日没。二条、京極両家の対立の原因をつくった人物である。歌風は後の京極派の萌芽(ほうが)を示す。

 露ふかき庭の浅茅(あさぢ)に風すぎて名残(なごり)涼しき夕立の空
[岩佐美代子]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原為教」の解説

藤原為教 ふじわらの-ためのり

京極為教(きょうごく-ためのり)

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