朝日日本歴史人物事典 「京極高詮」の解説
京極高詮
生年:文和1/正平7(1352)
南北朝・室町時代の守護大名。法名浄高。高秀の子で,京極家7代目を継ぐ。佐々木家の嫡流六角氏頼が応安3/建徳1(1370)年に死去したのち,その嫡子亀寿丸(六角満高)の後見人として近江国(滋賀県)守護に補任された。しかし程なく六角家を追われ,京極家の家督を継ぐこととなった。この一連の家督問題には,父高秀にかかわる康暦の政変(1379)が大きく影響していたものと考えられる。高詮は出雲,隠岐,飛騨,石見の各国守護となる一方,評定衆,侍所頭人にも就任し,幕府内部での権限を有した。京極氏の有力守護としての基盤は,祖父導誉,父高秀,そして高詮の3代によって築かれたのである。<参考文献>宇野日出生「南北朝期における守護京極氏について」上(『史朋』14号)
(宇野日出生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報