人取橋古戦場跡(読み)ひととりばしこせんじようあと

日本歴史地名大系 「人取橋古戦場跡」の解説

人取橋古戦場跡
ひととりばしこせんじようあと

[現在地名]本宮町青田 庄司・戸ノ内・三ッ池・茂庭・前原・中恵・萱林

天正一三年(一五八五)一一月一七日、瀬戸(せと)川を挟む付近一帯で展開された佐竹・蘆名氏らの連合軍と伊達軍との戦場跡。二本松の畠山氏援軍のため、佐竹・蘆名・岩城・石川・白川・二階堂・相馬の諸氏は、佐竹義重を盟主とする連合軍を組織して安積(あさか)郡に出兵、各地の伊達方の城を攻め落して、一一月一六日には前田沢(まえたざわ)(現郡山市)の南原(みなみはら)に陣を構え、伊達氏本隊との対決に備えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ガラス管球内に入れた高抵抗線に電流を流し,ジュール熱によって高温となり放射する光を利用するもの。抵抗線としてはタングステンが用いられ,その蒸発を防ぐためアルゴンおよび窒素ガスが管内に約 0.7気圧封入...

白熱電球の用語解説を読む