日本歴史地名大系 「仁田尾村」の解説 仁田尾村にたおむら 熊本県:八代郡泉村仁田尾村[現在地名]泉村仁田尾五箇庄(ごかのしよう)の西北部を占め、大金(おおがな)峰(一三九五・九メートル)と小金峰(一三七七メートル)に挟まれた山間にあり、五箇庄の表玄関柿迫(かきざこ)口と結び付いている。当村の地頭左座家蔵の「左座家由緒伝録」によると、討手を恐れて菅原道真の二子は延長元年(九二三)三月「肥後国高瀬ト云(ママ)通リ、益城郡甲佐ト云所マテ一所ニ来、左座太郎主従ハ、八代郡四浦ノ邑ヲ通、菅所ヘ分登、奥ト云所ヲ住居トス。 仁田尾村にたおむら 熊本県:上益城郡清和村仁田尾村[現在地名]清和村鶴(つる)ヶ田(た)南は平野(ひらの)村、北は牛(うし)ヶ瀬(せ)村と接する。大矢(おおや)川の支流広戸(ひろと)川沿いに集落がある。慶長国絵図に村名がみえる。矢部手永に属し、「国誌」に法蓮寺(ほうれんじ)村・日向(ひなた)村・小迫(おさこ)村・久木野村などの小村がみえる。文政九年(一八二六)の矢部手永略手鑑によれば高二〇一石余、田畝五町七畝余・畑畝九町六反・苅畑二町九畝余、竈数六三、男一一二・女九二、牛八八・馬九七。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by