日本歴史地名大系 「仁科庄・仁科」の解説
仁科庄・仁科
にしなのしよう・にしな
仁科庄は伊豆半島の南西海岸一帯に広がる庄園。仁科は現西伊豆町仁科を遺称地とし、仁科庄より狭い地域をさすと思われるが、仁科庄を仁科とよぶ場合もある。治承五年(養和元年、一一八一)一二月二四日平某が「仁科御庄内那賀郷」のうちを三島宮(現松崎町伊那上神社)禰宜職則古に安堵した(「平某下文写」伊那下神社文書)。建久二年(一一九一)一〇月の長講堂領目録(島田文書)には不所課庄庄のうちに仁科とみえ、年未詳の長講堂領年貢注文断簡(同文書)には「仁科庄 関東沙汰」とみえる。建暦元年(一二一一)七月一八日北条時政と思われる人物が仁科庄の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報