那賀郷(読み)なかごう

日本歴史地名大系 「那賀郷」の解説

那賀郷
なかごう

現在の那賀を遺称地とし、那賀郡の郡名を負う郷。治承五年(養和元年、一一八一)一二月二四日平朝臣某が「仁科御庄内那賀郷」内の神田八段余を三島宮(現伊那上神社)禰宜則古に安堵した(「平某下文写」伊那下神社文書)。延慶元年(一三〇八)一一月の峰輪みねわ箕勾みのわ神社棟札には大工「那賀郷住人行連」とある。康永二年(一三四三)七月七日、友桂は那賀郷の三島宮に供斎船料として田地一段を寄進し(「友桂寄進状」山田文書)、応永二七年(一四二〇)四月一三日明高は同社神田七反余を金指某に譲っている(「明高譲状」金指文書)。宝徳四年(一四五二)六月一九日三島宮大禰宜に金指遠義が補任された(「東光真康大禰宜補任状」金指文書)


那賀郷
なかごう

和名抄」に記載される郷。同書高山寺本をはじめ諸本とも訓を欠くが、遺称地とされる近世那賀郷なかのごう村などからナカであろう。当郷は現芦辺あしべ国分川迎触こくぶかわむかえふれ国分本村触こくぶほんむらふれ中野郷なかのごう本村触などを含む一帯とする説がある(壱岐国史)。「新撰姓氏録」(河内国神別)に「中臣高良比連、津速魂命十三世孫臣狭山命之後也」とあり、壱岐直氏と同じく雷大臣の裔と称していることから、中臣系氏族との関連が想定できる。推定される郷域には県下最大の円墳で六世紀末から七世紀初頭とされる鬼の窟おにのいわや古墳があり、その付近には笹塚ささづか古墳・掛木かけぎ古墳など複室構造で大型の横穴式石室をもつ円墳がある。


那賀郷
なかごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。訓を欠くが、郡名と同じであろう。郷里制下(七一七―七三九)の平城京跡出土木簡(「平城宮木簡概報」三一―二六頁)に「伊豆国奈賀郡奈珂郷江成里戸主」、延暦元年(七八二)一〇月一〇日の同木簡(同書三二―一二頁)に「伊豆国那賀郡那珂郷」とみえる。天平一二年(七四〇)以降の奈良正倉院調庸関係銘文(正倉院宝物銘文集成)には「伊豆国那賀郡那珂郷」とみえる。


那賀郷
なかごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「那賀」と記し、訓を欠く。立岩たていわ川上流・中流域の山間地、現北条市立岩地区の萩原はぎわら尾儀原おぎわら猿川原さるかわら小山田おやまだ儀式ぎしき庄府しようぶ米之野こめのの中村なかむら猿川さるかわ猪木いのき滝本たきもと才之原さいのはら比定され、中村が郷の中心と思われる。


那賀郷
ながごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「那賀」と記し、訓を欠く。天平二〇年(七四八)四月二五日付の写書所解(正倉院文書)に「紀伊国那賀郷戸主大伴連伯万呂戸口」とみえる。「続風土記」は「今長田ノ荘あり、其地は即今の国分田中池田長田の四荘なるへし」と現打田うちた町域と現粉河こかわ町西部地域に比定し、「日本地理志料」「大日本地名辞書」もほぼ同説をとる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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