今井澄(読み)イマイ キヨシ

20世紀日本人名事典 「今井澄」の解説

今井 澄
イマイ キヨシ

昭和・平成期の医師 参院議員(民主党);元・諏訪中央病院院長。



生年
昭和14(1939)年11月17日

没年
平成14(2002)年9月1日

出生地
旧満州・ハルビン

出身地
静岡県

学歴〔年〕
東京大学医学部〔昭和45年〕卒

経歴
在学中から安保闘争、大管法闘争に参加。昭和43〜44年の東大闘争では、山本義隆、最首悟らとともに全学共闘会議の中心的担い手として活動し、44年1月の“安田講堂攻防戦”では防衛隊長として最後まで現場で指揮した。その後、逮捕され、裁判をかかえながら医者となる。医療を通じての地域運動を志し、47年長野県に移住。佐久市の浅間病院を経て、49年諏訪中央病院へ。55年院長となり、赤字病院を再建、ベット数200床、常勤医師23名の近代的総合病院になるまでにこぎつけた。平成4年参院選長野選挙区に社会党(当時)から当選。8年社民党を経て、10年参院選比例区に民主党2位で当選、2期。参院厚生委員長、党医療制度改革ワーキングチーム座長など務めた。著書に「理想の医療を語れますか」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今井澄」の解説

今井澄 いまい-きよし

1939-2002 昭和後期-平成時代の医師,政治家
昭和14年11月17日満州(中国東北部)ハルビン生まれ。東大闘争のリーダーとして安田講堂事件で実刑判決をうけ,服役。東大卒業後,長野県佐久市の浅間総合病院勤務をへて,昭和55年諏訪中央病院長となり,地域医療や医療情報システム開発にかかわる。平成4年参議院議員(当選2回,社会党,のち民主党)。平成14年9月1日死去。62歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android