地域住民の健康の維持を目的として取り組む医療活動。国の医療計画のなかで、医療が主体的に実施される場として地域をとらえ、医療対策を地域内で完結して行う。
医療法制定(1948)による医療供給体制、国民皆保険となった医療保険制度のもとで、人口の高齢化が急速に進んだことが原因となって医療需要は急増し、低出生率の持続と高齢者人口の急増による高齢者死亡数の実質的急増は、必然的に人口の減少を招いた。生産年齢人口の減少は経済成長率の低下を引き起こし、高齢化は疾病構造の変化を招いた。これに1985年(昭和60)ごろから始まった医療技術の革新も加わり、医療費は高騰し始めた。
日本の医療システムはいまだに「病院完結型」であり、地域全体で病気に対処する「地域完結型」にはなっていない。地域の医療提供体制を地域完結型へと変化させるため、1985年に法制化された第一次医療法改正では、「医療提供体制の確保に関する基本方針である医療計画は、各都道府県が、地域の実情に応じて主体的に作成する」として、地域を基本に医療計画を策定すると定められた。それ以降、地域の主体性を増強しつつ、2014年(平成26)までに六次の医療法改正が行われ、2012年には医療法施行規則の改正も加えられて現在に至った。
[藤正 巖 2015年5月19日]
医療計画を立案・実施する地域を「医療圏」とよぶが、もっとも末端の医療圏は市区町村であり、これを統合した保健所単位の地域が「初期医療圏(一次医療圏)」とされている。医療計画はこの初期医療圏をいくつか統合した「二次医療圏(2013年の時点で344医療圏)」と、都道府県単位の「三次医療圏(北海道だけ6医療圏、他は各都府県でそれぞれ1医療圏)」で立案実施することが定められている。
医療計画の内容は、全住民に関係の深い「5疾病(癌(がん)、脳卒中、急性心筋梗塞(こうそく)、糖尿病、および精神疾患)」と、医療の確保のための「5事業(救急医療、災害時における医療、僻(へき)地の医療、周産期医療、小児救急医療を含む小児医療と、その他の疾病の発生状況に照らして都道府県知事がとくに必要と認める医療)」についてであり、地域の実情に応じて、それぞれの疾病や事業の目標、医療提供施設相互間の機能分担と業務連携を確保するための体制(医療連携体制)を定めて、実施計画の記載を行うこととされている。
地域医療では、2006年の第五次医療法の改正で、医療計画の策定に、急性期病院、回復期・慢性期病院、診療所などの医療機関間の連携を強化するとともに、診療報酬体系を変更し、医療提供体制を「在宅医療」を中心とする方向に変更が行われた。具体的には2013年に「医療介護総合確保推進法」(地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律、平成26年法律第83号)で医療・介護サービスを一体的に提供するための制度改革が決められた。
在宅医療では、高齢で病気であっても、住み慣れた生活の場で必要な医療・介護サービスを受けられるような、地域包括ケアシステムを構築することが目標となっていて、都道府県が医療計画の一部である「地域医療構想」を作成し、団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)になる2025年を見据えて実施計画をたて、各種の事業を支援することになった。そのなかには訪問診療・看護のみならず、訪問歯科診療や薬剤師による在宅患者訪問薬剤管理指導等の多職種による在宅医療の提供サービスをそれぞれの地域で整備することが決められ、これに先だって、2012年度補正予算で地域医療再生資金の積み増しが行われた。具体的には、2011・2012年度で実施された在宅医療連携のモデル事業(在宅医療連携拠点事業)の結果をもとに、市町村が中心となって郡市区医師会等関係団体と連携しながら地域医療供給を進めることが重要視された。2014年には二次医療圏単位の病院とケアマネージャーとで退院支援ルールの策定等を行うモデル事業(都道府県医療介護連携調整支援実証事業)を9府県で実施することが決められている。この結果等を踏んで、2015年以降、地域で在宅医療・介護の連携を推進する事業を地域支援事業に制度的に位置づけ、地域の医師会等と連携しながら取り組む方向が決められている。2014年の診療報酬改定では、主治医機能を評価し、在宅医療を行う診療所や緊急時における後方病床の評価を行うことが図られた。そのほかに機能強化型訪問看護ステーションの創設、褥瘡(じょくそう)(床ずれ)対策や在宅歯科医療の推進、薬局を利用した衛生材料等の提供体制の整備も計画されている。
[藤正 巖 2015年5月19日]
地域医療システムのなかでも、その計画の初期から「救急、休日夜間医療」は重視され、初期、二次、三次救急医療体制と階層化した構造がつくられてきた。「初期救急医療機関」は外来診療で救急患者の処置を行い、必要に応じて二次・三次の医療機関を紹介する。これには「在宅当番医制度(2013年、622地区)」と「休日夜間急患センター(2013年、553地区)」も対応している。「二次救急医療機関」は、入院治療を必要とする重症の救急患者を取り扱うが、24時間体制で入院の必要な救急患者の医療を行う「病院群輪番制度(2013年、392地区)」がつくられている。「三次救急医療機関」は二次救急医療機関で対処できない重篤な救急患者に対して、さらに高度な医療を総合的に提供するもので、「救命救急センター(2014年、226か所)」が担当している。
1991年(平成3)には「救命救急士制度」が整備された。2013年末の免許登録者数は4万6170人で、全国770消防本部のうち769本部で運用されている。救急救命士の活動は、救急医療機関の医師等によって、処置手順・教育・事後的な評価・処置開始の指示を行う体制(メディカルコントロール体制)の作成が重要となっており、都道府県単位と地域単位で取組みの充実が図られている。
これらの地域救急体制の整備が行われ、救急出動件数は1997年から2007年の10年間で約5割も増加し、2012年には580万件と前年比1.7%の増加がみられた。軽症者や高齢者の救急搬送が増加し、搬送者の半数は軽症者というのが現状となった。一方、妊産婦の搬送先の受入れの遅れや、小児救急医療病院の不足が2007年ごろより大々的に報道されるようになり、住民の医療への不安が発生するに至り、各種の地域救急医療センターが設立され始めた。
「小児救急医療拠点病院(2013年、53か所、22県)」による二次救急医療の確保や、保護者の不安に対する全国共通の相談電話窓口(#8000)が全都道府県に開設された。重症の子どもの病気やけがに対応するため、2006年から救急救命センターに小児の集中治療室が整備され始め、2010年からすべての重篤な小児患者を受け入れる体制として、「小児救命救急センター事業(2013年、8か所)」が開設された。
広域救急患者搬送のための医師の乗った「ドクターヘリコプター」は、2007年の「救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法」の成立によって、導入されている(2013年、36道府県、43機)。
市町村の区域を越えた医療情報の収集と提供を行うためには、1977年より「救急医療情報センター」が都道府県を単位として整備され、1998年からは、大規模災害のときに行政や医療機関相互に情報の収集と提供を行う目的も含めて、「広域災害・救急医療情報システム」がつくられている。
[藤正 巖 2015年5月19日]
僻地医療も地域医療システムの一つの大きなサブシステムである。1956年から11次にわたる「へき地医療保健計画」が国の主導で実施されてきたが、第11次計画(2011)からは国の策定指針に基づいて都道府県が策定し、県全体で「へき地医療支援」に取り組む仕組みづくりが行われるようになった。医療機関のない地域で、地域の中心的な場所から半径4キロメートルの区域内に50人以上が居住していて、医療機関が容易に利用できない地区を「無医地区(2009年の時点で705か所、居住人口14万人)」としているが、その数は減少傾向にある。おもな事項は、僻地の医療支援機構・医療拠点病院・診療所・保健指導所の整備にあり、さらに巡回診療車での巡回医療や、患者輸送車(艇)による住民の医療機関へのアクセスを改善することが行われている。
[藤正 巖 2015年5月19日]
『『国民衛生の動向』各年版(厚生統計協会)』
医療は個人を対象とするきわめて個人的なものであると同時に,その個人が生活し労働する場としての地域と切り離して考えられないという意味で,また地域性の強いものである。医療を地域的な視野でとらえる動きは,日本の近代化が始まった明治初年より見られるが,地域医療ということばで医療をとらえようという動きが見られるようになったのは1960年代以降である。地域医療の概念を最初に提唱したのは1920年のイギリスのドーソン報告であり,日本で地域医療論の端緒を開いたのは,地域医療を包括医療としてとらえ,その基盤整備の提案を行った日本医師会の地域医療検討委員会の答申(1972)である。地域医療community medicineは,地域保健community healthということばとほぼ同義にとらえられており,これらに共通するのは予防からリハビリテーションまで健康のあらゆる側面を含んだ包括的医療として医療活動をとらえようとし,とくに保健活動を積極的に評価する点である。こうした医療の再組織化が地域医療という視点からなされるようになった背景には,医療が疾病という一断面でのみ人間とかかわりをもつのではなく,その出生から死に至るライフサイクルにおいて予防からリハビリテーションまでのすべてにかかわるべきであり,そうした包括的な医療は個人だけでなく地域住民を対象として行われてはじめて効果を発揮する,という認識がある。これまでの医療はいわば点としての医療であったのに対して,地域医療は面としての広がりを目ざす医療といえよう。
医療の現場では,地域医療ということばが広く使われる以前から,医療に恵まれない農村部において地域医療の実践がなされていた。なかでも有名なのは長野県南佐久郡佐久穂町の旧八千穂村と岩手県和賀郡西和賀町の旧沢内村の例である。いずれも医師のいない無医村から出発して,今日ではそれぞれ佐久総合病院および沢内病院を有するまでに至っている。これらの村では,医療を自分たちの生活に身近なものとしていく過程で,医療だけを切り離して考えずに医療を保健活動と同じ次元でとらえ,全村健康管理体制を実現している。旧沢内村を例にとれば,行政(村),住民,医療担当者(医師,保健婦)の3者が一体になって予防活動,住民検診を行い,病院が治療機関として独立せずに母子保健センターとともに保健センターの一つとして機能し,病院の医師,村の保健婦や職員が保健センターの一員として予防や検診活動,病後のアフタケアにあたるといった組織面でのくふうが見られる。このような全村健康管理活動への取組みを通じて,全国でもっとも高かった乳児死亡率をゼロにするまでの実績をあげ,医療費を減少させることに成功しており,予防が住民の健康水準を引き上げ,ひいては医療費の節減にもつながることを実証した。旧沢内村や旧八千穂村の例は,治療に限定した医療の限界を示唆するとともに,新しい医療の可能性を示した点で大きな意義をもっている。これまでの地域医療の実践例は農村を基盤とした農村医療的なものであったが,今後の課題は高齢化社会における都市型地域医療ともいうべきものをいかに実現していくかである。
執筆者:藤井 良治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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