今保村(読み)いまぼうむら

日本歴史地名大系 「今保村」の解説

今保村
いまぼうむら

[現在地名]岡山市今保

現岡山市域の中央西部にあり、近世、津高郡の南端に位置した。東はささ川を限り、対岸田中たなか村、西は境目さかいめ川を挟み備中賀陽郡延友のぶとも村、南は足守あしもり川を挟み同都宇つう大福おおふく新田。同新田が造成されるまでは児島こじま湾に面していた。岡山藩が明暦三年(一六五七)までに設定した二六加子浦のうちで、津高郡では唯一の加子浦であった(藩法集)。宝永五年(一七〇八)延友村との境に国境の印杭が打たれ、享保二〇年(一七三五)には石杭に替えられた(撮要録)。天正八年(一五八〇)閏三月一一日、桂景信は今保での合戦のため湯浅将宗に進軍を命じ(「桂景信書状」萩藩閥閲録)、翌四月二二日戦闘があった(四月二五日「宇喜多直家感状」黄薇古簡集)


今保村
いまほむら

[現在地名]三和村今保

東は大光寺だいこうじ村、西は三村みむら新田、北は田島たじま村。西から東へ松之山まつのやま街道が通る。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図には「御料所今保村 上」とみえ、本納一七八石七斗六升二合五勺・縄高四三七石八斗五合、家一八軒・七五人とあり、「しまくら川」左岸に描かれる。正保国絵図では高五五九石余。天和三年郷帳によれば高六〇一石二斗余、うち漆高五斗八升、新田三石九斗余が記される。郷蔵があり、文政五年(一八二二)には米一〇〇俵を収蔵していた(「蔵米点検書上控」上越市教育委員会蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android