欣浄寺(読み)ごんじようじ

日本歴史地名大系 「欣浄寺」の解説

欣浄寺
ごんじようじ

[現在地名]伏見区西桝屋町

墨染すみぞめ寺の南西にある。興聖こうしよう(現京都府宇治市)深草ふかくさ(現伏見区)にあったとき、その山内にあった寺で、天正年間(一五七三―九二)現在地に移ったと伝える。清涼山と号し、曹洞宗本尊は木造の丈六盧遮那仏。道元の開基ともいう。「都名所図会」は「欣浄寺は墨染の南にあり。浄土宗にして、本尊には阿弥陀仏を安置す立像にして聖徳太子十六歳の御作」と記しており、江戸時代中期には浄土宗であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の欣浄寺の言及

【深草】より

…《千載集》巻四の〈夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里〉は藤原俊成が自作の最高の作と人々に語った(《無名抄》)歌として著名である。深草少将(伏見区西桝屋町の欣浄寺(ごんじようじ)がその宅址と伝える)が山科小野の随心院にあった小野小町の宅へ百夜(ももよ)通った伝説があり,謡曲《通小町(かよいこまち)》《卒都婆小町》《墨染桜》などに劇化されている。【奥村 恒哉】。…

※「欣浄寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」