朝日日本歴史人物事典 「今出川晴季」の解説
今出川晴季
生年:天文8(1539)
室町後期の公卿。父は左大臣公彦。初名実維。侍従,美作守,権中納言などを歴任したのち,弘治1(1555)年権大納言に就任した。この間天文14(1545)年晴季と改名。永禄11(1568)年に正親町天皇の第1皇子誠仁親王の別当となる。天正13(1585)年右大臣に就任,豊臣秀吉に関白職を斡旋する。しかし文禄4(1595)年,娘婿の豊臣秀次が自害させられた事件に連座して越後国(新潟県)に配流となった。翌年には罪を許され帰洛し,同3年に右大臣に還任した。死後は景光院と称された。
(小森正明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報