漢の武帝の太初1年(前104)に太初暦が施行されたが,その暦法は前1世紀末の劉歆(りゆうきん)によって補修されて三統暦と名づけられ,王莽(おうもう)の新,後漢で用いられ紀元84年(元和1)まで使用された。三統暦では夏(か)を天統,殷を地統,周を人統とした三正循環説によって理論づけして,暦法上の法数に思想的な意味を与えた。三統暦の1回帰年の値は365日+385/1539日,1朔望月の値は29日+43/81日で,両者は19年7閏の法によって結ばれた。暦推算の起点に某年の前年11月(夏暦)に朔と冬至が合致する日をあてて,19年=1章を経て同じ状態に復帰するようにした。1統=81章=1539歳で日の干支が復帰し,1元=3統=4617歳で年の干支も復帰する。太陽・月・五惑星が基準状態にきた時点から起算する上元積年の法を導入し,惑星の会合周期もかなり正確な値を使用,日食の周期を135月として予報を行った。
執筆者:橋本 敬造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…卵黄といえば球形であるが,実際には大地を平面と考えており,大地が丸いという考えは〈渾天説〉にもなく,地動説は明末にイエズス会士がヨーロッパ天文学を伝えるまで,中国人は知らなかったのである。 中国暦が〈天体暦〉の性格をもつようになったのは,〈太初暦〉を増補してできた前漢末の劉歆(りゆうきん)の〈三統暦〉からである。《漢書》律暦志に収録された〈三統暦〉には,水・金・火・木・土などの5惑星の会合周期の数値がほぼ正確に記載されており,これを利用して惑星の位置を計算している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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