バトラー家(読み)バトラーけ(英語表記)Butlers

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バトラー家」の意味・わかりやすい解説

バトラー家
バトラーけ
Butlers

ノルマン系アイルランド貴族の家系。12世紀末シオボールド・ウォルターヘンリー2世からアイルランドの所領と王室厨房長官(バトラー)の世襲職を与えられ,その職名を家名とした。1328年ジェームズ(1305頃~37)がオーモンド伯爵位を授けられ,2代伯ジェームズ(1331~82)はイギリス王室の遠縁にあたる女性と結婚して家格を高め,以後その子孫は代々アイルランドの司法長官,国王代理,総督統監などの要職を占めるとともに,概してイギリス王室に忠実なアイルランド貴族として,フィッツジェラルド家と長年にわたる覇権争いを演じた。5代伯ジェームズ(1420~61)は忠実なランカスター派としてバラ戦争で常にヘンリー6世側について戦い,1461年のタウトンの戦いで敗れたのち,処刑された。その弟ジョン(1478没)も兄とともに私権を剥奪されたが,のち許されて爵位を回復し,6代伯となった。8代伯ピアース(1539没)は,1527年ヘンリー8世の命令で伯爵位をトマス・ブリン(ヘンリー8世の第2王妃アン・ブリンの父)に譲り,代わりにオソリー伯の称号を受けたが,ブリンの死後オーモンド伯爵位を回復(1539)。10代伯トマス(1532~1614)は新教徒としてヘンリー8世の宮廷で育ち,シェーン・オニールらのアイルランド人をイギリスに帰順させる調停役として働き,失敗したのちは反乱鎮定に努力するとともに,彼の領地を奪ったフィッツジェラルド家のデズモンド伯と争い,これを粉砕した。彼の孫の 12代伯は初代オーモンド公で,スチュアート王家に尽くした功績により,1682年公爵に叙せられた。その子トマス(1634~80)はオソリー伯で,清教徒革命中はおもに大陸諸国に遊学し,王政復古後は軍人として仕え,第3次イギリス=オランダ戦争には海軍副司令官として従軍。妻がオランニェ公ウィレム(のちのウィリアム3世)の姻戚であったため,1677年同公とメアリー(のちのメアリー2世)の結婚に派遣された。その子の 2代オーモンド公はジャコバイトになり,亡命先で客死した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android