今田重太郎(読み)イマダ ジュウタロウ

20世紀日本人名事典 「今田重太郎」の解説

今田 重太郎
イマダ ジュウタロウ

大正・昭和期の登山ガイド 穂高岳山荘創設者。



生年
明治31(1898)年12月4日

没年
平成5(1993)年8月31日

出身地
岐阜県吉城郡上宝村神坂

主な受賞名〔年〕
勲六等単光旭日章〔昭和49年〕

経歴
19歳で山のガイドに。大正12年縦走中に悪天候で遭難寸前になった体験から、穂高稜線に避難小屋を建設。昭和32年穂高岳山荘と改称、41年息子・英雄に経営を引き継ぐ。日本の近代登山隆盛期に大学山岳部のガイドや荷運びのボッカとして活躍、トップクラスの登山家とも多くの交友を結び、昭和2年には秩父宮の穂高登山も案内した。登山道の整備にも力を入れ、前穂高から上高地により安全に下りる“重太郎新道”をはじめ、いくつかの道を開いた。人命救助も多い。著書に「穂高に生きる」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今田重太郎」の解説

今田重太郎 いまだ-じゅうたろう

1898-1993 大正-昭和時代の登山ガイド。
明治31年12月14日生まれ。19歳のとき内野常次郎弟子入り。大正13年北アルプスの白出乗越に穂高初の山小屋(現穂高岳山荘)をつくる。昭和26年岳沢から前穂高岳にいたる重太郎新道をひらいた。平成5年8月31日死去。94歳。岐阜県出身。著作に「穂高に生きる」。
格言など】登山者の力量と山とが釣り合っていれば,遭難しても無事でいられる

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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