すべて 

仏隆寺(読み)ぶつりゆうじ

日本歴史地名大系 「仏隆寺」の解説

仏隆寺
ぶつりゆうじ

[現在地名]榛原町大字赤埴

室生むろう(現奈良県室生町)南西約四キロ、光明こうみようヶ岳南麓にあり、室生寺の南門といわれる。摩尼山と号し、真言宗室生寺派本尊十一面観音立像。仏隆寺縁起に載る天慶九年(九四六)八月四日の官符には室生山仏隆寺とあり、嘉祥三年(八五〇)に僧堅恵が県興継(奥継)を檀主として建立、寛平二年(八九〇)定額寺になったという(大和志料)。現在、本堂・鐘楼堂・求聞持堂・辻堂などがある。本堂には本尊・空海像・堅恵坐像などを安置し、辻堂には鎌倉末期の地蔵石仏を祀る。境内に国指定重要文化財の堅恵の廟と称する石室があり、正和三年(一三一四)写の宀一山図(金沢文庫蔵)には「県奥継墓也」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

すべて 

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む