日本歴史地名大系 「仙北街道」の解説 仙北街道せんぼくかいどう 岩手県:水沢市仙北街道水沢宿から西行、出羽手倉川原(てぐらかわら)宿(現秋田県雄勝郡東成瀬村)を経て増田(ますだ)宿(現同県平鹿郡増田町)へ出る山越え道。出羽仙北地方に至るのでこの名があり、別名西山(にしやま)街道といった。出羽からの呼称は仙台街道。近代に入ると秋田街道とよばれ、経路の細部は異なるがほぼ現在の国道三九七号に引継がれている。この道がいつ頃から利用されたかは不明だが、八世紀の半ば過ぎに出羽に雄勝(おがち)城が築かれ、九世紀に入ると胆沢(いさわ)城が造営されているので、両城を結ぶ最短の道として用いられたものと推定される。その後も前九年・後三年の役の軍事道として、出羽北部と平泉を結ぶ道として利用され、正法(しようぼう)寺や永徳(えいとく)寺(現胆沢郡金ヶ崎町)が開創されると曹洞宗の伝播の道ともなった。江戸初期に後藤寿庵らによって胆沢地方にもたらされたキリスト教が、出羽北部に伝わるのもこの道を通じてであった。仙北街道は水沢宿南方、塩竈(しおがま)神社下の奥州街道から西に分岐するが、分岐点駈上(かけあが)りに宝暦一〇年(一七六〇)の道標石があり、「右はせんふく通」「左は衣川通」とある。これより胆沢郡南下葉場(みなみしたはば)村広岡(ひろおか)(現胆沢町)を経て若柳(わかやなぎ)村(現同上)の胆沢川南岸沿いに上り、同村供養塚(くようづか)を経、続いて堰袋(せきぶくろ)・愛宕(あたご)・市野々(いちのの)・馬留(まどめ)の紆余曲折の集落を過ぎて前(まえ)川に架かる筬子(おさご)橋(葛橋ともいう)を渡ると同村下嵐江(おろせ)宿に着く。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by