日本歴史地名大系 「仮宿村」の解説 仮宿村かりじゆくむら 鹿児島県:曾於郡大崎町仮宿村[現在地名]大崎町仮宿現大崎町の南部、南東流する田原(たばる)川と大橋(おおはし)川(持留川)の間にある。東は大崎郷神領(じんりよう)村、西は大橋川を挟んで同郷永吉(ながよし)村、南は同郷横瀬(よこせ)村、北は同郷井俣(いまた)村・岡別府(おかべつぷ)村と接し、南部を志布志(しぶし)方面と串良(くしら)方面とを結ぶ道が北東から南西へ通る。村名は「かいじゃく」「かりやど」ともいい、狩宿とも記される(三州御治世要覧)。天正五年(一五七七)大崎は島津氏領となり、新たに大崎郷地頭となった比志島美濃守国守は、当村中央部にあった大崎城内に地頭仮屋(現大崎小学校敷地)を設置、その周囲に麓が形成されたという(大崎町史)。 仮宿村かりやとむら 長崎県:下県郡美津島町尾崎村仮宿村[現在地名]美津島町尾崎(おさき) 仮宿尾崎村の北に続く同村枝郷。中世は与良(よら)郡のうち。「海東諸国紀」では「可里也徒浦二百余戸」とあるのが当地に比定される。明応四年(一四九五)一二月一七日の宗茂勝書下(与良郷宗家判物写)に「与良郡かりやとりの村」とみえ、村内の藤彦太郎抱分の居屋敷・畠地が藤徳鬼丸に与えられた。天正八年(一五八〇)「かりやと」を含む与良郡内百姓地八ヵ所をめぐって手塚氏と井氏の間で相論となり、それぞれを中分することとなったが、当地は手塚左衛門の所領とされた(同年一〇月一七日「宗信国遵行状」集判物帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報