日本歴史地名大系 「仰木庄」の解説 仰木庄おうぎのしよう 滋賀県:大津市北部地域仰木庄比叡山塊横川(よかわ)の北東山麓、現在の仰木町付近一帯を庄域とした庄園。「山門堂舎記」によると、仁安四年(一一六九)二月に焼失した延暦寺横川中堂再建には苗鹿(のうか)の材木が使用され、その伐採には「仰木・和爾」の杣工などが召集されている。なお応和(九六一―九六四)の宗論に際し、慈恵大師は「仰木庄高日寺」において求聞持法を修したというが(渓嵐拾葉集)、これは現仰木町平尾(ひらお)の高日山(たかひさん)廃寺でのことであろうか。正元元年(一二五九)九月一一日、幕府は佐々貴神主重方に仰木村の地頭職を安堵している(「将軍家政所下文」近江佐々木文書)。また「天台座主記」文永八年(一二七一)七月二三日条によると、当庄の「年貢百果」が延暦寺造講堂料に加えられているが、前述の杣工召集の頃より、すでに同寺領になっていたと考えられる。鎌倉時代には、延暦寺寂場院門跡が管領する横川華台(けだい)院検校職領となっており、寂場院門主の行円・実助が相伝、実助が乱行を理由に放逐されたのち、その舎弟行安(仰木僧正)がこれを継承。行安は妙法院門主の尊教に譲与し、以後、妙法院門跡領として伝領されている(康永三年「亮性法親王庁解」妙法院文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by