日本歴史地名大系 「仲渡」の解説 仲渡なかのわたし 群馬県:館林市北大島村仲渡[現在地名]館林市大島町 正儀内北大島(きたおおしま)村と下野国安蘇(あそ)郡船津川(ふなつがわ)村(現栃木県佐野市)を結ぶ渡良瀬川の渡し。北大島村央を東西に走る藤岡道から正儀内(しようぎうち)地内で分れ、北へ進んで渡しへ至る。上流の早川田(さがわだ)渡と下流の杉(すぎ)渡に挟まれ、名称もこのことに由来する。木食五行の「御宿帳」によると、第二期の廻国行脚のさい、安永九年(一七八〇)日光、今市(いまいち)・猪倉(いのくら)(現栃木県今市市)を経て栃窪(とちくぼ)(現同県鹿沼市)に四ヵ月滞在、年を越して翌一〇年二月富岡(とみおか)(現同市)―富田(とみた)(現同県下都賀郡大平町)―佐野(さの)(現佐野市)―シャウキャウシ―若一王子(にやくいちおうじ)宮―武州を経て江戸に出たという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by