伊井 弥四郎
イイ ヤシロウ
- 肩書
- 日本共産党中央委員
- 生年月日
- 明治38年11月14日
- 出生地
- 富山県富山市水橋町
- 学歴
- 岩倉鉄道学校〔大正15年〕卒
- 経歴
- 大正15年国鉄入社、昭和15年新橋管理部列車課勤務。戦後、国鉄労働組合連合会結成に参加、21年2月中央執行委員。産別10月闘争の後、共産党指導で全官公庁共闘会議が結成され、議長となり、22年1月18日「2.1ゼネスト宣言」を発表、1月31日、中労委斡旋は失敗、スト突入不可避となった。伊井はGHQに呼ばれスト中止命令受諾を強要され同夜9時すぎ中止命令を受諾。そのままNHK放送室に連行され、マイクの前に立った伊井は「一歩後退二歩前進、労働者農民ばんざい」と涙ながらに放送した。共闘会議は解放宣言し、わが国初のゼネストは占領軍命令で不発に終わった。伊井は占領政策違反に問われ23年から2年間獄中生活を送り、33年共産党中央委員、書記局員となったが、第11回党大会で解任された。
- 没年月日
- 昭和46年12月12日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
伊井 弥四郎
イイ ヤシロウ
昭和期の労働運動家 日本共産党中央委員。
- 生年
- 明治38(1905)年11月14日
- 没年
- 昭和46(1971)年12月12日
- 出生地
- 富山県富山市水橋町
- 学歴〔年〕
- 岩倉鉄道学校〔大正15年〕卒
- 経歴
- 大正15年国鉄入社、昭和15年新橋管理部列車課勤務。戦後、国鉄労働組合連合会結成に参加、21年2月中央執行委員。産別10月闘争の後、共産党指導で全官公庁共闘会議が結成され、議長となり、22年1月18日「2.1ゼネスト宣言」を発表、1月31日、中労委斡旋は失敗、スト突入不可避となった。伊井はGHQに呼ばれスト中止命令受諾を強要され同夜9時すぎ中止命令を受諾。そのままNHK放送室に連行され、マイクの前に立った伊井は「一歩後退二歩前進、労働者農民ばんざい」と涙ながらに放送した。共闘会議は解散宣言し、わが国初のゼネストは占領軍命令で不発に終わった。伊井は占領政策違反に問われ23年から2年間獄中生活を送り、33年共産党中央委員、書記局員となったが、第11回党大会で解任された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
伊井弥四郎 いい-やしろう
1905-1971 昭和時代の労働運動家。
明治38年11月14日生まれ。大正15年国鉄にはいる。戦後,国鉄労組総連合の結成にくわわる。昭和21年全官公庁共闘委員会議長となり,22年二・一ゼネストを準備したが,占領軍の命令で決行直前に中止した。32年共産党中央委員。昭和46年12月12日死去。66歳。富山県出身。岩倉鉄道学校卒。著作に「回想の二・一スト」。
【格言など】一歩後退二歩前進,労働者農民ばんざい(ゼネスト中止指令の結びのことば)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
伊井 弥四郎 (いい やしろう)
生年月日:1905年11月14日
昭和時代の労働運動家。日本共産党中央委員
1971年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報