日本歴史地名大系 「伊保内村」の解説 伊保内村いぼないむら 岩手県:九戸郡九戸村伊保内村[現在地名]九戸村伊保内瀬月内(せつきない)川中流域にあり、上流は荒屋(あらや)村、下流は小倉(こぐら)村。西岸は小倉岳・傾城(けいせい)峠の東麓を占める。傾城峠から遠志内(とおしない)沢・西山(にしやま)川が、東方の丘陵地帯から大志田(おおしだ)川が瀬月内川に合流する。沖積地は狭く、丘陵に占められる。慶長一九年(一六一四)の南部利直知行宛行状(花巻四戸文書)に村名がみえ、当村の三五石余が四戸久助の知行地となった。正保国絵図では高二四〇石余。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳では田二九五石余・畑二〇七石余。天保五年(一八三四)の南部領高辻帳による〆高は田三三〇石余・畑二三三石余。瀬月内川に沿って晴山(はれやま)村(現軽米町)の観音林(かんのんばやし)から葛巻(くずまき)村(現岩手郡葛巻町)に至る通称伊保内道が通る。この街道に沿って伊保内町があり、天保八年の仮名付帳には上町・中町・下町を記し、瀬月内川流域で最大の集落を形成した。寛文三年(一六六三)に市が停止されたが、村民の請願で同一二年に再開され(八戸藩日記)、また同年制札場も設けられた(八戸藩史料)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by