朝日日本歴史人物事典 「伊古田純道」の解説
伊古田純道
生年:享和2.10.17(1802.11.12)
幕末維新期の医者。日本で最初の帝王切開施術者。幼名は富次郎,名は寧,字は致遠,諱は重満,通称は純道,号は楢陵,白茅樵舎主人。治太夫重満の長男。武蔵国秩父郡(埼玉県)伊古田村生まれ。足立長雋門下の西洋産科医小室元貞に入門。江戸遊学後帰郷し,武蔵大宮(秩父市)で開業。嘉永5年4月25日(1852.6.12),同門で甥の岡部均平の要請で,現飯能市坂元の本橋みとを往診,岡部を助手に左手足・臍帯脱出の死児を帝王切開で出し,母体を救った。メモ『子宮截開術実記』に,西洋医術の成果に対する感動と確信を記している。昭和62(1987)年6月12日,本橋家地内に「本邦帝王切開術発祥之地」の記念碑が建てられた。<参考文献>石原力『西洋産婦人科翻訳書集成』2巻
(石原力)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報