伊古田純道(読み)いこた じゅんどう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊古田純道」の解説

伊古田純道 いこた-じゅんどう

1802-1886 江戸後期-明治時代蘭方医
享和2年10月17日生まれ。小室元兆にまなび,郷里武蔵(むさし)秩父郡(埼玉県)で開業嘉永(かえい)5年(1852)日本初の帝王切開に成功し,母体をすくった。同術の最初の記録は寛永18年(1641)とする説もある。のち上野(群馬県)藤岡にうつる。明治19年9月4日死去。85歳。名は寧。字(あざな)は致遠。号は楢陵(ゆうりょう)。

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367日誕生日大事典 「伊古田純道」の解説

伊古田 純道 (いこた じゅんどう)

生年月日:1802年10月17日
江戸時代;明治時代の産科医
1886年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伊古田純道の言及

【上野国】より

…このほか養蚕指導書《蚕養育手鑑》(1712)を著した馬場重久や渋川の吉田芝渓など農学の先達があり,関孝和が出たので和算も盛んであった。蘭医学では種痘の村上随憲,帝王切開を創始した伊古田純道,脱獄した高野長英をかくまった福田宗禎らをあげることができる。宗教の面では徳川家康が新田義重の菩提のため太田に大光院を開き,世良田の長楽寺に天海を派遣するなど,みずからの遠祖と称する新田徳川氏の供養につとめ,また前橋妙安寺から親鸞木像を東本願寺に遷座させた。…

※「伊古田純道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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