伊藤うた(読み)イトウ ウタ

20世紀日本人名事典 「伊藤うた」の解説

伊藤 うた
イトウ ウタ

明治〜昭和期の教育者 財団法人伊藤学園理事長



生年
明治1年12月10日(1869年)

没年
昭和9(1934)年4月11日

出生地
甲斐国北巨摩郡穴山村(山梨県韮崎市)

旧姓(旧名)
守屋

学歴〔年〕
徽典館女教場〔明治16年〕卒,東京裁縫女学校卒

経歴
私塾を開いていた父から読書・算術・習字の手ほどきを受ける。明治16年徽典館女教場を卒業後、同教場の教師関口ふくに師事して裁縫を教わった。21年同郷の伊藤又六と結婚し、2男2女をもうけるが、30年に夫と死別。のち子供を実家に預けて上京し、東京裁縫女学校で裁縫を修め、33年に帰郷して甲府に山梨裁縫学校を開いた。はじめは生徒数6人というきわめて小規模の学校であったが、徐々に生徒が増加したため、大正7年同校を山梨女子実科高等女学校に改組。さらに14年には甲府湯田高等女学校に昇格した。昭和2年財団法人伊藤学園を設立して同校の経営を移管し、その理事長として引き続き教育活動に当たった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤うた」の解説

伊藤うた いとう-うた

1869*-1934 明治-昭和時代前期の教育者。
明治元年12月10日生まれ。33年山梨裁縫学校を開校。のち山梨実科高女(のちの甲府湯田高女)とし,さらに甲府女子商業を新設。昭和2年財団法人伊藤学園を設立して理事長となり,各校の経営にあたった。昭和9年4月11日死去。67歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。徽典(きてん)館女教場卒。旧姓は守屋。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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