朝日日本歴史人物事典 「伊藤常足」の解説
伊藤常足
生年:安永3.12.21(1775.1.22)
江戸後期の国学者。通称漁沖,号を槙乃屋という。筑前国鞍手郡古門村(福岡県鞍手町)古物神社の神官常成の次男。兄早世のため3歳で伊藤家の嗣子となる。22歳から3年間,福岡に出て亀井南冥の家塾で儒学を学んだのち,同地の青柳種信について国学を修めた。文化1(1804)年から,九州全域の地誌編纂を志し,以来営々ほとんど40年をかけて,天保12(1841)年『太宰管内志』82冊の大著をまとめ,福岡藩主黒田長溥からは度々の褒賞にあずかった。その間,京都,伊勢,尾張(名古屋)などを遊歴し国学界の名士に学び,地元では志摩郡桜井神社内に文庫および学館を設けて,自ら神官の子弟を教育することもあった。<参考文献>「伊藤常足翁略伝・同年譜」(『太宰管内志』付録)
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報