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伊藤常足 いとう つねたる

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美術人名辞典の解説

伊藤常足

江戸後期の国学者・筑前古物神社祠官。号は魚沖・槇の屋。筑前鞍手郡生。儒学を亀井南冥に、国学を青柳種信に学ぶ。天保12年(1841)に太宰府管内で最も優れた地誌『太宰管内志』を完成、藩主黒田氏に献上した。傍ら志麻郡桜井神社に文庫と学舎を設け子弟に教授した。著書に『太宰府微』『筑前准風土記』等がある。安政5年(1858)歿、85才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊藤常足 いとう-つねたる

1775*-1858 江戸時代後期の国学者。
安永3年12月21日生まれ。筑前(ちくぜん)(福岡県)古物神社祠官。亀井南冥(なんめい)に儒学を,青柳種信に国学をまなぶ。九州の地誌を編集し,40年かけて天保(てんぽう)12年(1841)「太宰(だざい)管内志」を完成。この間筑前桜井神社に文庫と学館をひらいた。安政5年11月19日死去。85歳。通称は魚沖(なおき)。号は槙乃舎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

伊藤常足

没年:安政5.11.9(1858.12.13)
生年:安永3.12.21(1775.1.22)
江戸後期の国学者。通称漁沖,号を槙乃屋という。筑前国鞍手郡古門村(福岡県鞍手町)古物神社の神官常成の次男。兄早世のため3歳で伊藤家の嗣子となる。22歳から3年間,福岡に出て亀井南冥の家塾で儒学を学んだのち,同地の青柳種信について国学を修めた。文化1(1804)年から,九州全域の地誌編纂を志し,以来営々ほとんど40年をかけて,天保12(1841)年『太宰管内志』82冊の大著をまとめ,福岡藩主黒田長溥からは度々の褒賞にあずかった。その間,京都,伊勢,尾張(名古屋)などを遊歴し国学界の名士に学び,地元では志摩郡桜井神社内に文庫および学館を設けて,自ら神官の子弟を教育することもあった。<参考文献>「伊藤常足翁略伝・同年譜」(『太宰管内志』付録)

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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