朝日日本歴史人物事典 「青柳種信」の解説
青柳種信
生年:明和3.2.20(1766.3.30)
江戸後期の国学者。福岡藩士。福岡藩足軽青柳勝種の次男。初名種麿,通称勝次。柳園と号す。13歳で父の跡を継ぐ。天明年間(1781~88),江戸に祗役し漢学を修め,寛政1(1789)年,再び江戸祗役の途中,松坂に立ち寄り本居宣長に入門,江戸でも狛諸成,加藤千蔭をはじめ多く国学者と交わり学識を深め,同3年以後,内山真竜にも主に書簡を通じて教えを受けている。江戸諸家に借りた百余巻の古書の謄写が海路輸送中転覆し,これを再び謄写し直したというエピソードがある。文化9(1812)年,伊能忠敬の筑前測量に同行し,その縁で『宗像宮略記』『後漢金印略考』を忠敬に献上している。他に『筑前国続風土記拾遺』『防人日記』『屠児考』などの著作がある。
(飯倉洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報