…発行部数は日清戦争のころの最盛期でも約2万部と推定される。日露戦争後,経営はいっそう悪化し,1906年に陸羯南から伊藤欽亮に譲渡された。伊藤欽亮が紙面通俗化を図ったのに対し,三宅雪嶺,長谷川如是閑らは抗議して退社,雑誌《日本人》に移った。…
※「伊藤欽亮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...
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