伊藤 長七
イトウ チョウシチ
明治〜昭和期の教育家 東京府立第五中学校校長。
- 生年
- 明治10(1877)年
- 没年
- 昭和5(1930)年4月19日
- 出生地
- 長野県諏訪
- 学歴〔年〕
- 東京高等師範学校英語科卒
- 経歴
- 母校附属中学校に勤め、大正7年東京府立第五中学校創立と同時に校長となり、終生務めた。自由主義的教育家として、新しい試みを実行、少年少女を通じて国民外交を進める運動を行った。12年ごろ欧米を漫遊、行李に日本の少年少女の手紙を詰めて持参した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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伊藤長七 いとう-ちょうしち
1877-1930 明治-昭和時代前期の教育者。
明治10年4月13日生まれ。生地の長野県で小学校訓導をつとめたのち,東京高師を卒業し付属中学教諭となる。大正8年東京府立第五中学(現都立小石川高)の創立とともに校長。開拓精神を強調する視野のひろい自由主義教育を実践する。長野県木崎夏期大学などの開設にも尽力した。昭和5年4月19日死去。54歳。号は寒水。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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