伊達金三郎墓(読み)だてきんざぶろうのはか

日本歴史地名大系 「伊達金三郎墓」の解説

伊達金三郎墓
だてきんざぶろうのはか

世尊寺境内にある。金三郎は高村に生れ、甲奴こうぬ有田ありだ(現甲奴町)の伊達家の養子となり、同郡上下じようげ(現上下町)大森おおもり銀山(現島根県大田市)の代官所支配の天領陣屋があったことから、代官井戸平左衛門の手代役となった。享保の飢饉を救うため、代官の指示で薩摩国に入り、ひそかに薩摩芋を持帰り、青木昆陽が関東地方に薩摩芋を広めた享保二〇年(一七三五)よりも三年早く中国地方で栽培を始め、多くの農民を飢饉から救った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む