江戸中期の儒者、蘭学(らんがく)者。通称は文蔵、名は敦書(あつのり、あつぶみの両説がある)。字(あざな)は厚甫(原甫としたものがある)。号は昆陽。出生についても異説があり、父は近江(おうみ)の人とも、伊勢(いせ)、さらには江戸の人ともいう。商人の子である点は各説が認めている。京都で伊藤東涯(とうがい)に学び1720年(享保5)または1721年江戸に移る。1733年、町奉行与力(まちぶぎょうよりき)加藤枝直(かとうえなお)(1693―1785)の上申により、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)を通じ、8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)に推挙され、書物方として各地を巡り、旧記、古文書を探査した。昆陽が救荒植物として甘藷(かんしょ)(サツマイモ)普及に功のあったことは人のよく知るところで、1735年『蕃藷考(ばんしょこう)』を著した。薩摩(さつま)より種いもを取り寄せて江戸・小石川白山(東京都文京区白山)の幕府薬草園(現在の小石川植物園)で約5アールの試作を行い、のち下総(しもうさ)国馬加(まくはり)村(千葉市花見川区幕張(まくはり))、上総(かずさ)国不動堂村(千葉県九十九里町不動堂)にて苗をつくり、これを普及した。小石川植物園には甘藷試作跡には記念碑があり、馬加村には伊毛(いも)神の祠(ほこら)があった。
昆陽の役職名についても種々異説があるが、1739年(元文4)御書物方、1767年(明和4)御書物奉行となった。その間、吉宗の命で野呂元丈(のろげんじょう)とともに蘭語を学び、多くのオランダ語関係の本を著した。『和蘭(おらんだ)文訳』『和蘭文字略考』その他がある。『経済纂要(さんよう)』など、経済関係、貨幣関係の著書、また『昆陽漫録』など随筆もある。東京都目黒区下目黒の滝泉寺(りゅうせんじ)(目黒不動)境内に巨大な顕彰碑があり墓も同寺墓地にある。これは生前自ら建てたといわれ、「甘藷先生之墓」とある。
[福島要一 2016年4月18日]
『渋谷周蔵著『昆陽先生甘藷の由来』(1926・埼玉甘藷商同業組合事務所)』
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江戸中期の儒者で蘭学者。名は敦書(あつぶみ),字は厚甫,通称は文蔵,昆陽はその号。江戸の商人の子といわれる。1719年(享保4)に実証的な学風で知られる京都の儒者伊藤東涯の門に学び,22年に帰府して開塾した。救荒用の作物として甘藷(サツマイモ)に注目,35年に《蕃藷(ばんしよ)考》を著して幕府に上書したところ,将軍徳川吉宗にとりあげられ,甘藷栽培の普及に大きな貢献をした。39年に書物方に挙げられ,全国諸所の古記録の調査に従事し,のち67年に書物奉行に昇進した。他方,昆陽は吉宗の命で参府のオランダ人に随行するオランダ通詞にオランダ語を学び,《和蘭文字略考》をはじめ,6種のオランダ語入門書を著した。彼のオランダ語知識はのちに前野良沢に受け継がれ,《解体新書》の訳述となって結実した。その意味で,彼のオランダ語研究のもつ意義は大きい。著書には前記のほかに,《経済纂要》《草廬(そうろ)雑談》《官職略記》などがある。
執筆者:佐藤 昌介
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1698.5.12~1769.10.12
江戸中期の儒者・蘭学者。名は敦書(あつのり),字は厚甫,通称は文蔵。昆陽は号。江戸日本橋小田原町生れ。京都古学派の伊藤東涯に入門し実証的な学風を身につける。町奉行大岡忠相(ただすけ)にみいだされ,1735年(享保20)「蕃藷考(ばんしょこう)」を刊行した。甘藷(サツマイモ)の栽培普及を積極的に進めた功績は大きい。御書物御用達をへて,40年(元文5)将軍徳川吉宗から野呂元丈(げんじょう)とともに蘭語学習を命じられ,42年(寛保2)以降は江戸参府のカピタン一行やオランダ通詞から言語・文化・社会などを学んだ。47年(延享4)評定所勤務の儒者,67年(明和4)幕府紅葉山文庫の書物奉行。昆陽の修得した成果は前野良沢(りょうたく)にうけつがれる。著書「和蘭(オランダ)文字略考」「和蘭貨幣考」「和蘭文訳」。
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…京都に上り医を山脇玄修(道立),儒を並河天民,本草を稲生若水に学び,幕府の国産薬種資源調査の政策を受けて1719年(享保4)江戸に出て採薬御用となり,若水門の同学丹羽正伯とともに日光ほか関東一円,さらに中部,北陸,近畿各地で採薬に従事,34年には伊豆七島にも及んで,同年宅地を江戸紀国橋の傍らに賜った。39年(元文4)御目見医師となり,翌年将軍吉宗の命で青木昆陽とともにオランダ語を学習,江戸参府の商館長,医師らに毎年接してJ.ヨンストンの動植物図譜をもとに《阿蘭陀禽獣虫魚図和解》(1741)を,またオランダの植物学者であり医者のドドネウスRembert Dodonaeus(1516‐85)の本草書をもとに《阿蘭陀本草和解》(1741‐50)を撰訳した。46年(延享3)寄合医師となり200俵を賜禄された。…
…青木昆陽が1735年(享保20)に書いたサツマイモ奨励の小冊子。当時の昆陽は無名の寺子屋師匠だったが,中国本草書と西日本での風評にもとづき,サツマイモの利点13ヵ条をあげ,栽培法をのべた。…
…目白(豊島区金乗院),目青(世田谷区教学院),目赤(文京区南谷寺),目黄(江戸川区最勝寺)とともに〈江戸五色不動〉の一つで,毎月8の日が不動尊の縁日としてにぎわい,滝の水を浴びて治病を祈るならわしがある。境内には青木昆陽の墓があり,10月28日にはその功績をしのんで,甘藷まつりが行われる。【中尾 尭】。…
※「青木昆陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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