青木昆陽(読み)アオキコンヨウ

デジタル大辞泉 「青木昆陽」の意味・読み・例文・類語

あおき‐こんよう〔あをきコンヤウ〕【青木昆陽】

[1698~1769]江戸中期の蘭学者。江戸の人。初め伊藤東涯いとうとうがい師事甘藷かんしょサツマイモ)を救荒作物として普及に尽力し、甘藷先生とよばれた。著「和蘭文字略考」「蕃薯考」など。

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精選版 日本国語大辞典 「青木昆陽」の意味・読み・例文・類語

あおき‐こんよう【青木昆陽】

  1. 江戸中期の儒者蘭学者。名は敦書(あつのり)、字は厚甫、通称文蔵。江戸日本橋小田原町の魚問屋に生まれる。京都の伊藤東涯に学ぶ。江戸に戻って古学を講じていたが、「蕃薯考(ばんしょこう)」を著わして救荒作物としての甘藷の栽培、普及に努め、甘藷先生と呼ばれた。徳川吉宗の意を受けて蘭学を研究し、「和蘭話訳」などの多数の著書がある。書物奉行ともなり、文献の収集に努めた。元祿一一~明和六年(一六九八‐一七六九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青木昆陽」の意味・わかりやすい解説

青木昆陽
あおきこんよう
(1698―1769)

江戸中期の儒者、蘭学(らんがく)者。通称は文蔵、名は敦書(あつのり、あつぶみの両説がある)。字(あざな)は厚甫(原甫としたものがある)。号は昆陽。出生についても異説があり、父は近江(おうみ)の人とも、伊勢(いせ)、さらには江戸の人ともいう。商人の子である点は各説が認めている。京都で伊藤東涯(とうがい)に学び1720年(享保5)または1721年江戸に移る。1733年、町奉行与力(まちぶぎょうよりき)加藤枝直(かとうえなお)(1693―1785)の上申により、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)を通じ、8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)に推挙され、書物方として各地を巡り、旧記、古文書を探査した。昆陽が救荒植物として甘藷(かんしょ)(サツマイモ)普及に功のあったことは人のよく知るところで、1735年『蕃藷考(ばんしょこう)』を著した。薩摩(さつま)より種いもを取り寄せて江戸・小石川白山(東京都文京区白山)の幕府薬草園(現在の小石川植物園)で約5アールの試作を行い、のち下総(しもうさ)国馬加(まくはり)村(千葉市花見川区幕張(まくはり))、上総(かずさ)国不動堂村(千葉県九十九里町不動堂)にて苗をつくり、これを普及した。小石川植物園には甘藷試作跡には記念碑があり、馬加村には伊毛(いも)神の祠(ほこら)があった。

 昆陽の役職名についても種々異説があるが、1739年(元文4)御書物方、1767年(明和4)御書物奉行となった。その間、吉宗の命で野呂元丈(のろげんじょう)とともに蘭語を学び、多くのオランダ語関係の本を著した。『和蘭(おらんだ)文訳』『和蘭文字略考』その他がある。『経済纂要(さんよう)』など、経済関係、貨幣関係の著書、また『昆陽漫録』など随筆もある。東京都目黒区下目黒の滝泉寺(りゅうせんじ)(目黒不動)境内に巨大な顕彰碑があり墓も同寺墓地にある。これは生前自ら建てたといわれ、「甘藷先生之墓」とある。

[福島要一 2016年4月18日]

『渋谷周蔵著『昆陽先生甘藷の由来』(1926・埼玉甘藷商同業組合事務所)』

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百科事典マイペディア 「青木昆陽」の意味・わかりやすい解説

青木昆陽【あおきこんよう】

江戸時代の儒者,農学者,蘭学者。名は敦書(あつぶみ),通称は文蔵(ぶんぞう)。江戸の町家の出といわれる。伊藤東涯(とうがい)に古学を学び,大岡忠相(おおおかただすけ)に知られて幕府に仕え書物奉行(しょもつぶぎょう)に至る。《蕃藷(ばんしょ)考》(1735年)を著し,サツマイモの栽培普及に努め,甘藷(かんしょ)先生と呼ばれた。またオランダ通詞(つうじ)からオランダ語の初歩を学び,オランダ語入門書を著した。のち前野良沢(まえのりょうたく)にオランダ語を教え,蘭学の始祖となった。
→関連項目野呂元丈幕張滝泉寺

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改訂新版 世界大百科事典 「青木昆陽」の意味・わかりやすい解説

青木昆陽 (あおきこんよう)
生没年:1698-1769(元禄11-明和6)

江戸中期の儒者で蘭学者。名は敦書(あつぶみ),字は厚甫,通称は文蔵,昆陽はその号。江戸の商人の子といわれる。1719年(享保4)に実証的な学風で知られる京都の儒者伊藤東涯の門に学び,22年に帰府して開塾した。救荒用の作物として甘藷(サツマイモ)に注目,35年に《蕃藷(ばんしよ)考》を著して幕府に上書したところ,将軍徳川吉宗にとりあげられ,甘藷栽培の普及に大きな貢献をした。39年に書物方に挙げられ,全国諸所の古記録の調査に従事し,のち67年に書物奉行に昇進した。他方,昆陽は吉宗の命で参府のオランダ人に随行するオランダ通詞にオランダ語を学び,《和蘭文字略考》をはじめ,6種のオランダ語入門書を著した。彼のオランダ語知識はのちに前野良沢に受け継がれ,《解体新書》の訳述となって結実した。その意味で,彼のオランダ語研究のもつ意義は大きい。著書には前記のほかに,《経済纂要》《草廬(そうろ)雑談》《官職略記》などがある。
執筆者:

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「青木昆陽」の解説

青木昆陽
あおきこんよう

1698.5.12~1769.10.12

江戸中期の儒者・蘭学者。名は敦書(あつのり),字は厚甫,通称は文蔵。昆陽は号。江戸日本橋小田原町生れ。京都古学派の伊藤東涯に入門し実証的な学風を身につける。町奉行大岡忠相(ただすけ)にみいだされ,1735年(享保20)「蕃藷考(ばんしょこう)」を刊行した。甘藷(サツマイモ)の栽培普及を積極的に進めた功績は大きい。御書物御用達をへて,40年(元文5)将軍徳川吉宗から野呂元丈(げんじょう)とともに蘭語学習を命じられ,42年(寛保2)以降は江戸参府のカピタン一行やオランダ通詞から言語・文化・社会などを学んだ。47年(延享4)評定所勤務の儒者,67年(明和4)幕府紅葉山文庫の書物奉行。昆陽の修得した成果は前野良沢(りょうたく)にうけつがれる。著書「和蘭(オランダ)文字略考」「和蘭貨幣考」「和蘭文訳」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青木昆陽」の意味・わかりやすい解説

青木昆陽
あおきこんよう

[生]元禄11(1698).5.12. 江戸
[没]明和6(1769).10.12. 江戸
江戸時代中期の儒学者,蘭学者。字は厚甫,通称は文蔵,昆陽は号。商人の子として生れる。京都の儒学者伊藤東涯に学び,江戸に帰府して開塾。評定所儒者,書物奉行。救荒食物としてサツマイモの栽培をすすめ,普及に貢献。著書『蕃藷考』 (1735) を著し将軍徳川吉宗に献じた。一方,吉宗の命によってオランダ通詞からオランダ語を学び『和蘭話訳』 (43成立) ,『和蘭文字略考』 (46成立) を著した。昆陽の蘭学の知識は前野良沢に継承され,『解体新書』の翻訳となって結実した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木昆陽」の解説

青木昆陽 あおき-こんよう

1698-1769 江戸時代中期の儒者,蘭学者。
元禄(げんろく)11年5月12日生まれ。京都で伊藤東涯(とうがい)にまなぶ。甘藷(かんしょ)(サツマイモ)の栽培をすすめた「蕃藷考」をあらわし,甘藷先生とよばれた。明和4年幕府の書物奉行となる。経済,オランダ語関係の著述もおおい。明和6年10月12日死去。72歳。江戸出身。名は敦書。字(あざな)は厚甫。通称は文蔵。著作はほかに「経済纂要」「和蘭文訳」など。
【格言など】此芋を蒸して干し,米の如く切って飯となし食う。島人皆百余歳の寿を保つ(「蕃藷考」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「青木昆陽」の解説

青木昆陽
あおきこんよう

1698〜1769
江戸中期の儒学者。蘭学の先駆者
通称文蔵。江戸の商人の子として生まれ,伊藤東涯に儒学を学んだ。凶年の救荒作物として甘藷 (かんしよ) に注目,その栽培法を研究。1735年『蕃薯 (ばんしよ) 考』を著し,将軍徳川吉宗に甘藷栽培の重要性を建白して採用され,「甘藷先生」といわれた。'40年幕府の書物方となり,古文書調査採訪にあたった。また吉宗の命により蘭学を学び,『和蘭 (オランダ) 語訳』などを著した。

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367日誕生日大事典 「青木昆陽」の解説

青木昆陽 (あおきこんよう)

生年月日:1698年5月12日
江戸時代中期の儒学者;書誌学者;蘭学者
1769年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の青木昆陽の言及

【野呂元丈】より

…京都に上り医を山脇玄修(道立),儒を並河天民,本草を稲生若水に学び,幕府の国産薬種資源調査の政策を受けて1719年(享保4)江戸に出て採薬御用となり,若水門の同学丹羽正伯とともに日光ほか関東一円,さらに中部,北陸,近畿各地で採薬に従事,34年には伊豆七島にも及んで,同年宅地を江戸紀国橋の傍らに賜った。39年(元文4)御目見医師となり,翌年将軍吉宗の命で青木昆陽とともにオランダ語を学習,江戸参府の商館長,医師らに毎年接してJ.ヨンストンの動植物図譜をもとに《阿蘭陀禽獣虫魚図和解》(1741)を,またオランダの植物学者であり医者のドドネウスRembert Dodonaeus(1516‐85)の本草書をもとに《阿蘭陀本草和解》(1741‐50)を撰訳した。46年(延享3)寄合医師となり200俵を賜禄された。…

【蕃藷考】より

青木昆陽が1735年(享保20)に書いたサツマイモ奨励の小冊子。当時の昆陽は無名の寺子屋師匠だったが,中国本草書と西日本での風評にもとづき,サツマイモの利点13ヵ条をあげ,栽培法をのべた。…

【目黒不動】より

…目白(豊島区金乗院),目青(世田谷区教学院),目赤(文京区南谷寺),目黄(江戸川区最勝寺)とともに〈江戸五色不動〉の一つで,毎月8の日が不動尊の縁日としてにぎわい,滝の水を浴びて治病を祈るならわしがある。境内には青木昆陽の墓があり,10月28日にはその功績をしのんで,甘藷まつりが行われる。【中尾 尭】。…

※「青木昆陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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