伊集院彦吉(読み)イジュウイン ヒコキチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「伊集院彦吉」の解説

伊集院 彦吉
イジュウイン ヒコキチ


肩書
外相

生年月日
元治1年6月19日(1864年)

出生地
薩摩国(鹿児島県)

学歴
帝大法科大学法律学科〔明治23年〕卒

経歴
明治20年外務省に入り、外交官試補、英国、イタリア各国領事を経て、44年辛亥革命時の駐北京大使。その後駐イタリア大使、大正8年パリ講和会議全権委員、11年関東庁長官、12年山本内閣の外相となった。大正9年男爵

没年月日
大正13年4月26日

家族
父=伊集院 吉次(鹿児島藩士)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「伊集院彦吉」の解説

伊集院 彦吉
イジュウイン ヒコキチ

明治・大正期の外交官,男爵 外相。



生年
元治1年6月19日(1864年)

没年
大正13(1924)年4月26日

出生地
薩摩国(鹿児島県)

学歴〔年〕
帝大法科大学法律学科〔明治23年〕卒

経歴
明治20年外務省に入り、外交官試補、英国、イタリア各国領事を経て、44年辛亥革命時の駐北京大使。その後駐イタリア大使、大正8年パリ講和会議全権委員、11年関東庁長官、12年山本内閣の外相となった。大正9年男爵。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「伊集院彦吉」の解説

伊集院彦吉

没年:大正13.4.26(1924)
生年:元治1.6.19(1864.7.22)
明治大正期の外交官。妻は大久保利通の娘芳子。鹿児島藩士の子として生まれ,上京して大学予備門から帝大法科大法律学科を卒業し,すぐに外務省に入省して外交官の道を歩む。赴任地は東アジアが長かった。大正8(1919)年パリ講和会議全権委員,11年関東庁長官となり,12年第2次山本権兵衛内閣で外相となる。語学は不得手であったが視野が広く,また軍との協調を重視したという。<参考文献>故伊集院男爵十周年忌追悼会編『伊集院彦吉男爵青木宣純将軍追悼録』

(季武嘉也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊集院彦吉」の解説

伊集院彦吉 いじゅういん-ひこきち

1864-1924 明治-大正時代の外交官。
元治元年6月19日生まれ。妻の芳は大久保利通の長女。釜山領事,天津総領事などをつとめ,明治41年清(しん)国(中国)公使。大正5年イタリア大使となり,8年パリ講和会議の全権委員。11年関東長官。翌年第2次山本内閣の外相。大正13年4月26日死去。61歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「伊集院彦吉」の解説

伊集院 彦吉 (いじゅういん ひこきち)

生年月日:1864年6月19日
明治時代;大正時代の外交官。第二次山本内閣外務大臣
1924年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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