会沢安(読み)あいざわやすし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

会沢安
あいざわやすし

[生]天明2(1782).5.25. 水戸
[没]文久3(1863).7.14. 水戸
江戸時代後期の儒学者,思想家。水戸藩士。字は伯民,通称は恒蔵,号は正志斎,憩斎。藤田幽谷に学び,その子東湖らとともに水戸藩主徳川斉昭を擁立。天保1 (1830) 年に郡奉行,翌2年通詞,さらに調役として藩政改革を推進,まもなく彰考館総裁となる。弘化1 (44) 年,幕命による斉昭謹慎とともに禁固。嘉永2 (49) 年,斉昭の罪が解かれるとともに弘道館教授。安政2 (55) 年には小姓頭兼督学に任じられ,藩の重鎮として後期水戸学の発展に寄与した。著書新論』 (57) は尊王攘夷論の先駆をなし,その運動推進の役割を果した。彼は神道を主とし,儒学を合せた大義名分論を唱えた。ほかに著書『退食閑話』 (42成立) ,『下学邇言』 (47成立) ,『及門遺範』 (50成立) など。

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精選版 日本国語大辞典の解説

あいざわ‐やすし【会沢安】

江戸後期の水戸藩の学者。号、正志斎、字、伯民、通称、恒蔵。水戸に生まれ、藤田幽谷に学ぶ。文政九年(一八二六)、彰考館総裁、藩校弘道館教授となる。尊王攘夷論を唱え、藩主、斉昭の藩政改革を助け、水戸学の発展に尽くした。著「新論」「迪彝篇(てきいへん)」など。天明二~文久三年(一七八二‐一八六三

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