大義名分論(読み)タイギメイブンロン

デジタル大辞泉 「大義名分論」の意味・読み・例文・類語

たいぎめいぶん‐ろん【大義名分論】

君臣・父子の別をわきまえ、上下秩序礼節を重んじる思想江戸時代封建社会倫理的支柱とされ、幕末には天皇に対する忠誠を求める尊王論へとすり替えられた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大義名分論」の解説

大義名分論
たいぎめいぶんろん

主として君臣関係などの国家道徳を父子などの家族道徳よりも優先すべき価値とみる考え方。大義は「春秋左氏伝」隠公4年に,名分は「荘子」天下編にそれぞれ典拠をもつ。中国には物事の名と実とを一致させることが政治の要諦であるとの考え方があり,孔子は「正名」すなわち「名を正す」こと,それぞれの地位・立場にある者がその地位にふさわしい責任をはたすことが政治秩序の安定を維持するうえで重要であるとし,朱子学は孟子の有徳(うとく)者君主思想を踏襲して王朝の交替を天子の失徳によって説明した。日本では,政治権力の有無にかかわらず天皇の位は不変であるとの考え方が強く,孔子の「正名」は「名分を正す」こと,すなわち天皇との君臣関係を絶対不変のものとみなし,臣下がその義務と責任をはたしているかどうかが重視され,臣民の天皇に対する忠誠が守るべき道徳として要求された。崎門(きもん)学派や水戸学などによって思想的に形象化され,幕末・維新期から近代の日本で猛威をふるった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「大義名分論」の解説

大義名分論(たいぎめいぶんろん)

『春秋』にもとづき,欧陽脩(おうようしゅう)司馬光が唱え,朱熹(しゅき)『資治通鑑綱目』(しじつがんこうもく)強調した。君臣父子の道徳を絶対視し,ことに臣下として守るべき節操本分を明らかにした。その背景として,宋代は初め北辺の燕雲十六州に占領され,やがて華北全域がに統治されたため,いかに遼と金に対処すべきかという政策の検討がからんでいたことがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大義名分論」の意味・わかりやすい解説

大義名分論
たいぎめいぶんろん

江戸時代の封建体制下の支配的イデオロギー江戸幕府が設定した士農工商の身分社会制は,儒教思想を基本とする君臣の支配服従関係を絶対化する大義名分論によって支えられた。大義は重大な義理,名分は名義に伴う分際の意味である。この支配原理により,臣下,被治者は,いかなる状況のもとでも主君,支配者に対する服従の名分を尽すべきであるとの観念が普遍化し,封建関係を制度化した。朱子学的名分論のもとでは,幕府の権力は朝廷から委任されたものであるから正統であると解釈されてきたが,幕末の政治情勢のもとで民族主義の要請に適応して,幕府は朝廷の命に服すべきであるとの尊王主義の原理を生み出すにいたった。 (→尊王論 )

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旺文社日本史事典 三訂版 「大義名分論」の解説

大義名分論
たいぎめいぶんろん

君臣の大義を明らかにし,特に臣民として守るべき節義と分限を正すことを主張したもの
戦国時代ごろから形成され江戸時代に固定された将軍を首長とする封建的身分秩序を,永久に維持するために,君臣の関係の絶対性を強調する朱子学が特に武士階級の倫理として主張された。江戸後期,封建制の矛盾が激化すると,大義の内容が変わり幕政批判の目的から皇室の尊厳を強調,幕末の尊王攘夷運動の思想的背景となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大義名分論」の解説

大義名分論
たいぎめいぶんろん

儒学の経典『春秋』の大義にもとづいて君臣関係の絶対性を説く思想上の立場
北宋の欧陽脩 (おうようしゆう) が唱道し,南宋の朱熹 (しゆき) に至って大成,宋学の一大支柱となった。

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