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水戸学 みとがく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

水戸学
みとがく

大日本史』の編纂の過程で水戸藩に成立した学風。主として朱子学によりながらも,神道,国学をも取入れ,日本史における権力の正統性の問題に強い関心を示す点に特徴がある。前,後の2期に分けられ,前期を代表するのは安積澹泊 (あさかたんぱく) ,栗山潜鋒 (せんぽう) ,三宅観瀾 (かんらん) ら 17世紀の後半に徳川光圀の周囲に集った学者で,尊王敬幕の歴史観を唱えた。後期水戸学は,藤田幽谷 (ゆうこく) ,藤田東湖会沢安 (あいざわやすし) ら 18世紀前半に藩主徳川斉昭に登用された学者によって主張され,その強烈な尊王攘夷思想によって諸藩の改革派に大きな影響を与えたが,幕末に近づくに従って急速に指導力を失い,明治の天皇制国家における国民教化政策や,その国家体制の思想的支柱をなした「国家」観念などのうえには,この水戸学の顕著な影響が認められる。なお,江戸時代には水府学,天保学などとも呼ばれ,水戸学という呼称に統一されたのは明治維新後である。

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百科事典マイペディアの解説

水戸学【みとがく】

江戸時代,水戸藩で形成された尊王論を中核とする思想体系。前期・後期に分けて捉える考え方が一般的であるが,狭義には後期だけを水戸学とする。前期は朱子学を基盤とし,2代藩主徳川光圀の起こした《大日本史》編纂(へんさん)事業を通じて大義名分論として展開した。
→関連項目王政復古(日本)蒲生君平国学(近世)朱舜水攘夷論尊王攘夷運動大日本史

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世界大百科事典 第2版の解説

みとがく【水戸学】

幕末における内外の危機に対応して水戸藩士の一部によって展開され,尊王攘夷の観念を打ち出すことによってその後の歴史に大きな影響を及ぼした思想。18世紀末から活躍する藤田幽谷によって基礎がおかれ,弟子の会沢正志斎や子の藤田東湖らによって確立され,彼らの著作や活動,さらには彼らを重用した9代藩主徳川斉昭声望を通して,藩外にまで影響を与えた。水戸学については,2代藩主徳川光圀が17世紀後半に《大日本史》編纂事業を始めた際に基礎がおかれ(前期),幕末の危機とともに実践的政治論として展開される(後期)という広義のとらえ方のほうが一般的であったといってよい。

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大辞林 第三版の解説

みとがく【水戸学】

水戸徳川家の史局、彰考館に代々伝えられてきた儒学・史学を基盤に、国学・神道の要素をも包括して一九世紀前半に成立した学派。藤田幽谷からその子東湖らに継承され、天保年間(1830~1844)の藩制改革期に政治思想として発展を遂げ、幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

水戸学
みとがく

近世水戸藩に醸成された独得の学風を意味し、その名称は天保(てんぽう)時代(1830~44)から幕末にかけて、「水府(之)学」「天保学」「水戸学」などと、主として水戸藩以外の人々からよばれたもので、広く水戸学の名称が普及したのは明治以後である。水戸学の沿革については種々の説があるが、一般的なものは、2代藩主徳川光圀(みつくに)の修史事業に携わった多くの学者らの間に形成された学風を前期水戸学と称し、9代藩主徳川斉昭(なりあき)の天保期の藩政改革のなかで大成された学風を後期水戸学と称するものである。しかし体系的な独得の学風という点を重視すれば、いわゆる後期の学風を水戸学と称し、前期のそれを水戸学の淵源(えんげん)とすることになる。いずれにしても光圀による修史事業を中心に展開した学風では、歴史尊重と国体観の高揚と尊王賤覇(せんぱ)の思想などに特色がある。後期では、18世紀後半の異国船の接近にみられる西洋諸国の進出と幕藩制の動揺による内憂外患に対する危機意識が、独得の学風形成の根底にあったことは否めない。こうしたなかで水戸学大成の端緒となったのが藤田幽谷(ゆうこく)の国体論と攘夷(じょうい)思想である。それは、斉昭の天保改革を推進した藤田派の会沢正志斎(あいざわせいしさい)や藤田東湖(とうこ)らによって継承発展させられ、斉昭の名で公表された『弘道館記(こうどうかんき)』に結集されたとみられる。幕末の政治運動の支柱とされる尊王攘夷論は、この水戸学の中核をなすものと考えられる。[瀬谷義彦]
『今井宇三郎・瀬谷義彦・尾藤正英編『日本思想大系 53 水戸学』(1973・岩波書店) ▽伊東多三郎・尾藤正英・鈴木暎一編「水戸学の発展と尊王攘夷論」(『水戸市史 中巻(三)』所収・1976・水戸市役所)』

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世界大百科事典内の水戸学の言及

【海防論】より

…鎖国論にもさまざまな立場があるが,貿易は日本有益の品と外国無用の品を交換するものだという貿易有害無益論が,キリスト教排斥論とともに,ほぼ共通の前提となっていた(この理論は以前からあった)。 鎖国論のなかで重要なのは,1820‐30年代に完成する水戸学攘夷論である。西洋諸国は卑しむべき夷狄(いてき)だから,接近してくれば打ち払うべきだという説であるが,この攘夷論の根底にあったのは,西洋諸国の危険をキリスト教やその他の有害思想の浸透といういわば間接侵略に焦点をおいてとらえる見方である。…

【国学】より

…またその反面,歴史・制度学系統の流れが,伝統的な農村共同体の観念に根ざした社稷(しやしよく)の学を掘り起こしていたことも見落としてはならない。また,幕末期の国学がその総体として儒学に逆影響を与え,〈広義の国学を基礎とし国体を宣明し儒学を参酌して〉(徳川斉昭《弘道館記》1838述)という語句にも見られるように,後期水戸学の成立に思想的な刺激をもたらしたことも重要であろう。明治新政権の成立の後,維新変革の実現のために多大なエネルギーを提供していた国学運動はそのはけ口を見失う。…

【攘夷論】より

…攘夷論は鎖国論と結びついて発生したが,やがて西洋列強に並立するための海外膨張論などを生み出し,明治維新前後に華夷思想が解体するのとともに消滅した。 1820‐30年代に確立する水戸学は,西洋諸国は卑しむべき夷狄だから,接近してきたら打ち払うべきだとして,攘夷を創唱した。文化的・倫理的観点から中華と夷狄とを区別する儒教の華夷思想は,江戸時代に広く流通していたものだが,この夷狄の観念と日本に接近してくる西洋諸国とを不可分に結びつけ,その打払いを主張した点に攘夷論の新しさがある。…

【尊王論】より

…幕末に天皇親政論が出てくることは,これなしには考えられないであろう。 幕末における内外の危機に対応して登場する水戸学は,攘夷を創唱すると同時に尊王と結びつけ,その後の過程で重要な役割を演ずる尊王攘夷の観念を打ち出した。ここでは,儒教の名分論を基礎としつつ国学の理論をもとり入れ,一系の天皇が存続し忠の道徳が妥当してきた日本の国家体制(国体)の優秀性を強調しながら,尊王が以前にないほど強く説かれる。…

【大義名分】より

…江戸時代の水戸学的な思想の場でつくられた概念。しかし,この合成語が普及したのは近代で,江戸期にはさほど使われてはおらず,水戸学の文献には,必要に応じて諸概念がばらばらに用いられるのが散見できるのみである。…

【大日本史】より

…制度史に相当する志・表の部の編纂は難航したが,幕末期の豊田天功と明治時代の栗田寛とが中心となって編纂を進め,10志(神祇,氏族,職官,国郡,食貨,礼楽,兵,刑法,陰陽,仏事)と5表(臣連二造,公卿,国郡司,蔵人検非違使,将軍僚属)として完成した。この長年月にわたる編纂事業は,歴史の学問的研究の発展に貢献するとともに,19世紀前半には水戸学とよばれる新しい学風を生み,思想界ならびに現実の政治上に大きな影響を及ぼした点で注目される。【尾藤 正英】。…

【藤田東湖】より

…江戸後期の水戸学の代表的な実践活動家。名は彪,東湖は号。…

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