伝法寺庄
でんぼうじのしよう
中世の仲津・築城両郡にまたがって形成されていた庄園。城井川と祓川の中流域、遺称地の現築城町伝法寺および松丸・下深野・本庄、犀川町犬丸・木井馬場などを中心とした一帯に比定される。一二世紀半ばに国衙官人の板井氏が宇佐宮領を取込んで立庄、地頭となった。同氏没落後は跡地を与えられた関東御家人宇都宮氏(惣領家は城井氏)の中核的所領であった。鎌倉時代初期とみられる弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)に「伝法寺」とみえ、同寺は弥勒寺(宇佐宮の神宮寺)の末寺であった。「宇佐大鏡」所載の宇佐宮大宮司公順処分状案によれば、「伝法寺」はもと宇佐宮祝大神宮方の私領であったが、承徳二年(一〇九八)に養子の神寛が継承して天永元年(一一一〇)閏七月五日宇佐宮の散在常見名田に売却、以来宇佐宮領となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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