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住吉弘貫

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美術人名辞典の解説

住吉弘貫

幕末の土佐派の画家。初名は広定・弘定、のち弘貫と改める。通称内記。広行の次男。江戸後期の住吉派の名手といわれた。兄広尚の後を嗣ぎ幕府の御用絵師となるが弘貫の代になって御用絵師が旗本と同格になった。文久3年(1863)歿、71才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

住吉弘貫 すみよし-ひろつら

1793-1863 江戸時代後期の画家。
寛政5年生まれ。住吉広行の次男。住吉派。兄広尚(ひろなお)の死後家督をついで幕府の御用絵師となる。土佐派の古典をいかし,紫宸殿(ししんでん)賢聖障子(けんじょうのしょうじ)をえがく。技巧の卓抜なことにより狩野家同様旗本に列された。文久3年7月22日死去。71歳。江戸出身。初名は広定,弘定。通称は内記。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

住吉弘貫

没年:文久3.7.22(1863.9.4)
生年:寛政5(1793)
江戸後期の画家。住吉広行の次男。兄広尚の没後,住吉家を継ぎ,その7代目となる。名は初め広定,のち弘定,さらに弘貫と改めた。通称も初め外記,のち内記。幕府の御用絵師として,弘化1(1844)年の江戸城障壁画をはじめオランダなど外国の国王への贈物用屏風の制作に彩管を揮った。寛永寺護国院に葬られた。<参考文献>大村西崖編『東洋美術大観』5巻

(榊原悟)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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