皇居、紫宸殿(ししんでん)の母屋(もや)の北側、玉座の後方に立てられる9枚の襖(ふすま)障子で、中国殷(いん)代より唐代までの賢臣32名の肖像が描かれているので名づけられた。中央の間に文書を負う亀(かめ)と、獅子狛犬(ししこまいぬ)を描き、その左右4枚の1枚ごとに4名ずつ描く。各人上方に色紙形の枠内に名前と徳行才能の賛詞が記されている。おこりについては『帝王編年記』に弘仁(こうにん)年間(810~824)、『皇年代記』に陽成(ようぜい)帝の代(在位876~884)、『古今著聞集(ちょもんじゅう)』に寛平(かんぴょう)年間(889~898)とあって一定ではないが、平安時代の初めころと推定され、現存のものは寛政(かんせい)年間(1789~1801)に造営したときに描かれたものである。なお、32名の人物は、馬周、房玄齢、杜如晦(とじょかい)、魏徴(ぎちょう)、諸葛亮(しょかつりょう)、蘧伯玉(きょはくぎょく)、張良、第伍倫(だいごりん)、管仲(かんちゅう)、劉(鄧)禹(りゅうう)、子産、蕭何(しょうか)、伊尹(いいん)、傅説(ふえつ)、太公望(たいこうぼう)、仲山甫(ちゅうざんぽ)、李勣(りせき)、虞世南(ぐせいなん)、杜預(どよ)、張華、羊祜(ようこ)、揚雄(ようゆう)、陳寔(ちんしょく)、班固(はんこ)、桓栄(かんえい)、鄭玄(じょうげん)、蘇武(そぶ)、倪()寛(げいかん)、董仲舒(とうちゅうじょ)、文翁、賈誼(かぎ)、叔孫通(しゅくそんとう)である。
[郷家忠臣]
北障子ともいう。禁裏の著名な障屛(しようへい)の一つ。紫宸殿(ししんでん)の母屋北側を仕切る9枚の間仕切。御帳台の背後にあり,南面中央1枚に2匹の狛犬,上部に亀,その両脇東西各4枚に諸葛亮,太公望,班固,蘇武ら中国三代から唐までの賢聖名臣32人の肖像,北面には花鳥が,絹張り,極彩色で描かれている。肖像上部の色紙形(しきしがた)の略伝の名跡が話題となった。初めは嵯峨天皇の代とか宇多天皇の代と伝えられるが,幾度も造り替えられている。
→障屛画
執筆者:平林 盛得
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…唐絵の呼称は,中国からもたらされた仏画に対しても用いられている。当時の唐絵の画題としては,中国古代から唐にいたる名臣の肖像を描いた賢聖障子が代表的なものであり,これは宮廷の障子絵の画題として近世まで描き継がれている。ほかに,《山海経(せんがいきよう)》所論の長臂国,長股国の異類(手長足長)を描いた荒海障子,馬を描いた馬形障子などが文献により知られる。…
…これら絵画の屛風絵はすべて814年(弘仁5)に平安京内裏に移送され,その後の障屛画制作の規範となった。9世紀初頭には,嵯峨天皇の内裏清涼殿に山水画の壁画が,また紫宸殿の障子に中国歴代の賢聖名臣32人の立像(賢聖障子(けんじようのしようじ))がはじめて描かれた。この唐朝宮殿の巨障高壁絵画を倣った日本の宮廷絵画の制は,現在の京都御所に継承されている。…
※「賢聖障子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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