住用湊(読み)すむゆうみなと

日本歴史地名大系 「住用湊」の解説

住用湊
すむゆうみなと

正保琉球国絵図に住用湊とみえ、入三町、広さ二町、深さ八尋で、大船は七、八艘ほどつなげるが、東風・北風の折には船の係留は困難としている。当湊から瀬名(せな)(現龍郷町)までは海上四里半、西之古見(にしのくみ)湊(現瀬戸内町)までは海上一三里と記される。ただし深い入江の奥には遠干潟とあり、当時、当湊の機能を担った集落がいずれか明らかではない。新井白石の「南島誌」に「住用(すむよの)湊」がみえる。文化三年(一八〇六)大島代官本田孫九郎が上申した一八ヵ条(大島要文集)によれば、住用間切の「山間湊」が二三反帆船を係留する居船場一九ヵ所の一つとして津口横目の船改が行われる湊であったことから、山間(やんま)村が中心であった可能性がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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