佐々木俊作(読み)ささき・しゅんさく

朝日日本歴史人物事典 「佐々木俊作」の解説

佐々木俊作

没年:明治6.9.3(1873)
生年:文化7(1810)
弘化4(1847)年盛岡藩一揆の指導者。陸奥国下閉伊郡(岩手県)盛岡藩領安家村百姓佐々木茂右衛門長男。百姓としては茂右衛門を使い,のち俊作を多用した。天保1(1830)年から嘉永1(1848)年までの19年間『日記』を書き続けた。天保年間の飢饉は「巳年の飢渇」として克明に記録している。天保11年,肝入に就任する。13年に西国巡礼116日間の旅をし,『西国巡礼道中記』を残した。弘化4年には,過重な御用金賦課を契機とする陸中海岸沿いの強訴を指導し,嘉永1(1848)年,領内僻遠の牛滝に流罪となった。6年に放免されたが,蝦夷地に渡り,北海道開拓使役人として菊池政美の名で暮らした。<参考文献>茶谷十六『安家村俊作』

(深谷克己)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々木俊作」の解説

佐々木俊作 ささき-しゅんさく

1810-1873 江戸時代後期の農民
文化7年生まれ。陸奥(むつ)閉伊(へい)郡(岩手県)盛岡藩領安家(あっか)村の肝煎(きもいり)。天保(てんぽう)元年から19年間の日記をのこし,天保の飢饉(ききん)を詳細に記録。弘化(こうか)4年の三閉伊一揆(いっき)の指導者のひとりで,嘉永(かえい)元年流罪となるが,のちゆるされた。明治6年9月3日死去。64歳。通称は茂右衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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