朝日日本歴史人物事典 「佐々木俊作」の解説
佐々木俊作
生年:文化7(1810)
弘化4(1847)年盛岡藩一揆の指導者。陸奥国下閉伊郡(岩手県)盛岡藩領安家村百姓佐々木茂右衛門の長男。百姓としては茂右衛門を使い,のち俊作を多用した。天保1(1830)年から嘉永1(1848)年までの19年間『日記』を書き続けた。天保年間の飢饉は「巳年の飢渇」として克明に記録している。天保11年,肝入に就任する。13年に西国巡礼116日間の旅をし,『西国巡礼道中記』を残した。弘化4年には,過重な御用金賦課を契機とする陸中海岸沿いの強訴を指導し,嘉永1(1848)年,領内僻遠の牛滝に流罪となった。6年に放免されたが,蝦夷地に渡り,北海道開拓使役人として菊池政美の名で暮らした。<参考文献>茶谷十六『安家村俊作』
(深谷克己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報